コラム はじめの一歩 バックナンバー

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2016年

弔辞 投稿日:2016/11/28(Mon) 18:30 No.308

 先日、弊社社長の一学年先輩でもあり取引先でもある社長の葬儀に、二人で最後のお別れの葬儀に参列してきた。
 とても研究熱心な方で、これだと思ったら何が何でも、ジッとしていられない性分。間違った事が大嫌いで、何事も筋を通さずにはいられない。
 猜疑心等は持ち合わせてはいない。けれどもビジネスに関しては、グローバルな考えの持ち主で、海外でも先駆者として展開を試みておられた。

 当時男性ばかりで女性は私と彼女だけだった。まだその国では高速道路も
 途中までしか出来ていない本当に不思議な不便な道路が延々と続いていた。
 二か所の工場を見学して、かれからはこのまま生産性が上がれば、日本はきっと追い抜かれるだろうと感じていた。
 工場を管理していた二人の若者達を日本に連れてきて、自宅で日本語を教え
 食べさせ徹底してこの産業の勉強させ指導した。
 家族の協力かかせないが、素晴らしい家族で
 皆一丸となって社長を支えた。

 全国は言うまでもなく、関連の海外にも
 素早く対応し飛んで歩いておられた。それでも息抜きに
 大好きなゴルフを一緒にラウンドしたが、何事もはまる性格で彼に勝ったことは一度もない。
 驕ることなくいつも笑顔を絶やさない方だった。彼には損得を考えることなく、来る者拒まず、いつもどんな時でも笑顔を絶やさず、
 不思議な位すいこまれるのです。

 いつも教えてもらうことと、情報量の凄さには、いつも感服してばかり。
 葬儀では数えきれない弔電の数、海外から、全国から信じられないくらい寄せられていた。人柄の数だけあるのだと思った。
 二代目社長の弔辞には、涙、涙、涙
 嗚咽が式場から漏れている。涙と鼻水、彼は決して飾る言葉ではなく、会社をついだ経緯と、故人への思いを彼の言葉で、素直に
 たんたんと・・・しかし感謝の言葉と、尊敬の眼差しが伝わってきた。
 紙の弔辞ではなく、マイクの前でお別れのことばをつらつらと言葉にし、詰まりながらも不思議と
 誰のこころにも響くのです。飾った言葉でもなく
 二代目社長もまた
 正直で誠実で努力家の塊のような人です。

 久しぶりに
 心に残る素晴らしいお別れの言葉に
 何故か安らぎを覚えたお葬儀でした。

初雪 投稿日:2016/11/04(Fri) 17:44 No.307

 夜遅くに札幌からの帰り道、石狩川を超えるとチラチラと雪がフロントガラスにつくようになった。
これはもしかしたら明日は天気予報どうりになるやも知れないと、ゆっくりとアクセルヲ踏むように心がけた。
ところが江別を抜け大排水のかわをこえると、しきりに雪が降り続いてきた。
実は今年の冬タイヤは、まだ交換していない。会社の車が多かったので、搬送車が一番に取替えられたのです。
会議でどうしても街中までいかなければならない。順番待ちでも、ガソリンスタンドも引き受けてはくれず、仕方なくゆっくり運転を心がけスタートすることにしたのだが、心は何故かおちつかない。

 冬装備は命に係わる大事な仕事、北の大地は路面が雪の降り始めは想像を超える滑りやすいのである。
タイヤ改造で滑りにくくはなっているのだが、スパイクたいやの粉じんは体に悪く、健康面から廃止された経緯がある。
きっと事情を知らない役人が 得意になってすすめたのでしょう。スパイクタイヤで亡くなった人がいるのでしょうか?
悲しいことですが決められたことは、守るしかありません。

 今年は本当に気温が上がらず雨が多く、そして地域災害と続いて農作物、花、果物など殆んど満足できませんでした。
毎年ジャガイモを本州に送っているのだが、生産者無理だといわれたのです。こんなことははじめてのことでした。
最高のジャガイモをつくっているので、器量の悪いのは生産者としてプライドが許せないというのです。
今年は我慢してください。どうしても無理です。お詫びをしておいてください。ご夫婦二人で来られたのには驚きました。
農家の三代目で本当に誠実な方たちです。来年も宜しくとお願いしておいた。

 今年の冬は早めにやってきそうだが、季節の変わり目はなくなる方が多くなる。
風邪をひかないように十分ご自愛くださいますように。それから全国から頂いた名産の好物、有り難うございます。
今年は遅くなりましたが、リンゴの発送をお願い致しましたので、あと暫らくおまちくださいませね。

新緑に 投稿日:2016/05/12(Thu) 19:26 No.306

 山々にはまだ残雪があるが、道路の脇には黄色のタンポポが所々かわいい花をさかせている。
その周りには つくしが一面頭を出し競っている。山菜たちも顔を出しはじめ、ヤチフキやアスパラ、ウドなどこれからは野菜のオンパレードがはじまる。木々の緑は其々に、緑の色はこんなに何種類もの色を もっているのかと思うくらい 鮮やかに可愛い芽や葉っぱを力いっぱいつけ始めている。

 裏のお寺の桜も散り始め 葉桜に衣変えをはじめようとしている。目に染みる青葉が こんなに鮮やかに そして心を癒やしてくれるなんてついぞ思わなかった、今日この頃だが 去りゆく人たちも周りの人達にも何故か淋しさをさそうのはなぜなのでしょうか・・・
季節変わりはいつも多忙なのだが、今年は尚更淋しさが伴う。

 北の女性部たちと福島の郡山に同行した。現在福島行の直行便は、震災後一日一便しかないそうなので大会の時間には間に合わないので仙台空港着となる。そこからはバスで現地に直行せざるをえなかった。バスの窓から見える桜は満開、でも花の色がやけに薄く見えたのは自分だけだったのだろうか
しかしその脇に一段と鮮やかな桃色、いやピンク色をした木が連なっている。本州の花の色は実に鮮やかである。きっと温度差なのだろうと密かに思った。

 翌日十年ぶりで福島の知人に会うことになった。忙しい中にも拘らず、彼女は郡山のホテルまで迎えに来てくれることになった。
震災から5年の歳月がながれていた。しかし彼女の周りの突然の悲劇は、誰も想像もしえなかった出来事が待ち構えていただろうに、そんなことはおくびにも出さず私に心配をかけさせないように、元気な顔をみせてくれた。よかった!とにかく元気でよかった、心からそう思った。それから彼女の運転する車の助手席に乗せてもらいせてもらいポツリ、ポツリと震災の時の話が語られた。

もうすぐ春 投稿日:2016/03/22(Tue) 17:40 No.305

 積りに積もった雪の山も 日一日と暈が減り始めてきた。
風はまだまだ冷たく、時折花吹雪が舞い散りまだまだコートを脱ぐことはできない。道路は完全に乾いているのだが、冬タイヤは 変えられない。
それでも所々の空き地には 春を告げる花々が 顔を出し始めている。北の大地はもうすぐ「春ですよ!」

 五代目?の孫も四月からいよいよ年少さんとなる。ママにしがみついていたが大丈夫かな?お友達はできるかな?
スキー検定三級合格したよと三年生の孫。来年は頑張って上を目指すそう。女の子だがチャレンジ精神は凄いと感心させられた。
学校のすぐ横のスキー場は、私には恐ろしく高く、 直滑降なんて信じられない世界である。北国の子供たちの生活は、こんな小さい時から習うより慣れといわれ「雪」と共にあそびそして成長する。小学校からスキー学習なる教科もあるのには、本当に驚いた。
高校生もスキーを担いで 学校ごとに、必ず授業を受けるのが必須教科なのである。それはそれは大人も、子供も上手くなるはずである。スキーの「板」を、私は(そり)といつも言っていたので、恥ずかしい思いをした。

 孫たちの成長が何より楽しみな毎日。昨年誕生した四番目の孫の写真をメールで毎日送ってくる娘。
お百日の写真を持参したが、風邪もひかず丸々とお肉がついて、段々パパに似てきた。三人の子供たちが家庭を持ち子供も授かり 今のところ皆元気なのが何より嬉しい。孫たちの成長を見守ることは多分できそうにないが、出来ることなら今からでも我が家の歴史を書き留めておくと位しか出来そうにない。
先代のお姉さん(叔母)が書き留めておいてくださった貴重な我が家の歴史。都合のいいことも、悪いことも書いてないが ルーツだけは詳細に書き留めねばならない。
外は雪割りの作業の音があちこちで 始まっている。お彼岸の御中日も明日。裏のお寺の木々が芽吹くのはもうすぐ。
真っ青な見事な静かな青空。本当に綺麗な群青色がすがすがしい。直ぐそこまで待ちどうしい春がすぐそこにきている。

2015年

お陰様で 投稿日:2015/12/26(Sat) 18:41 No.304

 今年もあと僅かとなりました。
お陰様でボチボチと始めていた、ステラ倶楽部の会員の申し込みが増え始めております。

 お話を聞きたいと仰る方が、御夫婦でお見えになったり、或いは奥様おひとりだったり、又御主人様だったりと事前相談にお見えになり、その際ステラ倶楽部の御案内をさせて いただくと直ぐ申込書を書いてくださり知らなかったと仰る方が多いのに、驚きました。

 特別な事はあまりありませんが、92年間葬祭業を続けてこられたのは、偏に皆様の御かげです。北海道でも随分と古い葬祭業者の感謝、感謝の極みです。大正12年、先せん代からう受け継いだ暖簾を下ろす訳にはまいりません。これからはお返しをする事に専念します。

 「古い信用、新しいサービス」

 先代のキャッチフレーズは、今も継続し続けております。そして続ける事の難しさは誰よりも社員が、身体で感じているところです。
時代や御遺族に寄り添う形の葬儀が、主流となりました。それはそれで意義のあることです。
はじめの一歩は、勇気が伴いますが それでも北海道では本州のように歴史の重みがまだまだ浅いです。しかたのないことですが積み重ねが重みをますのですから・・・・

 皆様、来年は一陽来復の春となりますよう 心から御祈りいたします。

ある日の午後 投稿日:2015/09/02(Wed) 17:57 No.303

 麦の刈り入れが終わり、稲穂が一日ごとに垂れ下がり、穂先の色が日々黄金色に染まり始めました。

 何だか聞き覚えのあるお声で、電話がありました。
しかし、どうしても思い出せませんでしたが これから伺いたいとの事。
「お待ちしております。」と返事をしたが まだ思い出せません。

 ステラホールへお見えになり、まずホールヘ案内することにした。
娘二人で私が先か、家内が先かは判りませんが、その日のために「心の準備」をしておきたいのです。
と、ボツボツと静かにおっしゃられるが、まだ思い出せない。
お茶を進め、どちらからお出でになられたのですかと聞いた。

 随分昔に当別に住んでいたことがありました。もっとも四十年まえですが・・・・
山のほうですが、会社はS社でしたが、私は地元の出身なのですよ。今は地方に妻と二人で暮らしております。
S社と聞いて思い出したことがある。おそるおそる聞くことにした。

 実は、四十数年前にそのS社の専務さんにとても親切にご指導していただきましたのです。お名前は確かkさんという方なのですが・・・
当時の私は訛りがひどく、アクセントも全くひどいものでした。 きっと先様はお困りであったろうと推察される。
若いのと経験不足だったけれど、とにかく自社から言われたことは何としても 了解して頂かなければならない。
汗をかきながら必死で一気に、勝手に自分の思っている事の説明をはじめたのである。
先様は何にも云わずに黙って只々聞いてくださったのである。

 今その四十数年前の事が 忘れることなく鮮明に思いだされるのだから、強烈な思い出のイチページです。
そうそう、あなたの事もよく覚えていますが、先代さんと大奥様には随分お世話になったのです。
いつも着物で色の白い優しい方でしたよね。先代は凄いかたで、我々が思いつかない発想を あの時代によく おっしゃっておられましたよね。
何だか懐かしくて、当時の事を思い出しました。そうそううちの社長があまりに早く亡くなられたので 又その時の事も思い出しましたよ。

 みんなお互い様に、歳を重ね 顔の皺が深くなり、少し身長が低くなり、腰も多少曲がり気味、旋毛も真っ白になりました。
お世話になりながら、ご指導をうけながら 何時しか時間がすぎてしまいました。
あの過ぎ去りし日々、こうしてご縁がありました方にお会いできたことに感謝したある日の午後でした。

誕生日取扱説明書 投稿日:2015/06/21(Sun) 15:41 No.302

 正しい誕生日の迎え方
 古い年齢は必ずおすてください。
 なるべく平静を保ってください。

 必ずお守りください
 無理な年齢のサバ読みはおやめください。
 衝撃を受けても、八ツ当たりはしないでください。
 もしも年齢にふれても、報復はお避けください。

 年令の使い始めに
 自分の年令をよく確かめてください。
 (お忘れの場合は、私にご連絡ください)
 新しい年令を使用せずに、そのまま放置しても、自動的に
 移行されますので、ご承知おきください。

 その他のご注意
 寿命をのばすために 運動と栄養は十分に。
 ストレスは老化をすすめます。
 何事も 気にしない!きにしない!

 アフターサービス
 耐用年数は1年です。
 新年令がどうしても合わない場合は必ず 自称 をつけて
 サバ読んでください。その場合の保証はありません。
 その他 ご不明な点は 私までお問い合わせください。

 ということで・・・Happy Birthady!

                  全日本誕生日協会

 なるほど こんなメッセージカード もあるんですね。
 嬉しくもあり、寂しくもあり、楽しくもあり覚悟もありこんなカードを頂いた方の 思いは其々でしょうね。

 ちっぽけなカードに ほんの少しの思いを込めて贈りましょう。

 きっとその思いは 相手に届くことでしょう。

2013年

豪雪に・・・・ 投稿日:2013/02/22(Fri) 19:56 No.301

 季節の行事、節分が終わると例年なら降雪量も段々と少なくなり、春を待ちわびる季節の花の入荷が始まる。
今年は異常な程の雪に悩まされ、昨日は一晩で今季最高の約65センチを記録した。岩見沢地区はそれよりも遥かに多く約80センチを記録した。石狩地区は特に降り積もったようで今季最高の積雪。札幌市も除雪費用を大幅に追加した。

 もう何年も昔のことだが、義母と朝の大雪に驚きお店のシャッターがあげられず横にある引き戸を開け 階段を作り表へ出て、要約正面を開けた記憶が蘇ってきた。その時は皆こんな大雪はいまだかってない記録破りの豪雪だ。と、言っていたが、昨晩の大雪はそれを遥かに上回る積雪。交通機関はは麻痺状態、国道も地域によっては事故で寸断され、通行止めとなった。

 降り止まぬ雪に人々は疲労困憊し、除雪機もフル稼働状態だが追いつかない。商店街はシャッターを下ろし始めたお店が出始めた。こんな日はお客さんが見えないだろうと早々とクローズしはじめたが、そんな事はない。たった一人のお客様でも私たちは寧ろ有り難く対応することとした。

 社員のなかには、道路があかずに已む無く途中まで来て引き返す者や休まざる者もいたが、事故にあうよりはそうしてくれた方が安心である。出社した者は、除雪に昼までかかった。会社の前はロードヒーティングが施してあるが、融雪がまるで追いつかない。こんなに遠慮なく降るなんて異常としか言いようも無い位に積もり始めた。空を見上げるが止む形跡が全く無く只ただ止めどなく降りしきる。天気予報はまるで当てにならない。

 降り止まない雪にホトホト疲れ除雪が仕事の一日となったが、こんな時ほどお迎えが入る。二車線が一車線の道路を搬送車がお迎えに走る。どうぞ事故に巻き込まれず無事に御自宅まで行けます様にといのるばかり。猛吹雪の中の御遺体の搬送は特に注意が必要で、普段の倍の神経を要する。

 彼らが帰社するまでは待つ方も心配ばかりで落ち着かない。雪国の宿命と言うほかは無い。厳しい条件のなかで自分達も命がけなのである。だから人に優しく出来るのかも知れない。

2012年

駆け足 投稿日:2012/11/28(Wed) 16:05 No.300

 今年の雪はなんという気まぐれなのだろう?
いつもの年は11月に予告があり、直ぐ消える。
雪虫が澄んだ秋空に集団で舞い始める
雪降る季節を迎える準備が始まるのです。
落ち葉を拾い集め、木々を囲い始める。
清んだ秋空を眺めながらの作業は心穏やかになる時でもある。

 それから暫らくして12月に入ると気温が急に下がりストーブ無しでは居られない位、温暖の差が激しくなる。11月の中頃にはカラスが電線にぶら下る様に増える。家族全員総出して畑の野菜の収穫に勤しむそして来る春の準備に畑を耕運機で熾し始めるのです

 毎年の風景ですが、本当に心が和むほんの短い作業風景です

 寒冷前線が急に向きを変え北野台地に駆け足やって来ました
函館、室蘭地域では風速40メートル位でしょうか
木が倒れ鉄塔までもが折れ曲がり全域停電
回復には3、4日かかるそうですが一日も早い復旧が望まれます

 空の便も鉄道も運休し、まるで陸の孤島
猛吹雪の脅威は容赦なく断りも無く平気で訪れる
ユックリ来てね!
 ゆっくり来てください!
今日は屋根に残る雪を眺めながら
もう根雪になるだろう「当別の冬」を思いチョット寄り道してみました。

ステラ倶楽部 投稿日:2012/10/10(Wed) 19:18 No.299

 随分と長期休暇を頂いてお休みさせて頂きました。

 只今 当社では「ステラ倶楽部」の準備で皆様には大変御迷惑をお掛けいたしております。

 予告チラシを配布いたしましたところ、早速当社までおいで頂き即「御入会」いただきました。

 「待っていたよ!何でもっと早くしてくれなかったの?と、叱られました。私共は少しでも御遺族皆様のお役に立つ仕事をさせて頂く事、そしてこれからもずっと永くこの地で、御奉仕させて頂く事が、私共の大事な使命であり責務なのです。

 今年はステラホールが出来てから、早いもので八年が経ちました。オープニングは二月の雪が降った寒い日でした。二人の息子達が入社し、後継者として皆様に認めて頂ければこんな嬉しいことはありません。四代目が継承し、五代目の孫が頑張ってくれることを何よりも望んでおりますが、次世代はどのように変わっているのでしょうか?

 先のことは誰にも判りませんが、先々代から引き継いだ仕事は、何としてもこの町の為に受け継ぎ、そして貢献しなければなりません。地味な仕事ですが、「ステラ倶楽部の発足」を会員の皆様に何よりも喜んでいただける。そんな仕事を目指し、社員一同切磋琢磨し研鑽いたしております。

 10月21日・・・供養祭を兼ねてステラホールで入会申し受けます。
       「遺言と相続」の講演も同時に長谷川先生がされます

 お時間がありましたら是非お待ちいたしております。

大人の怒り 投稿日:2012/04/26(Thu) 19:13 No.298

 夜も大分ふけた頃一本の電話が鳴り響いた。仕事続きで誰も休みが取れない状況、やっと家路についても疲労困憊が重なり気の毒な状況。お迎えの担当は当番製にしているが流石に電話は架けられないほどの仕事量。それでも電話があればお迎えに行かなければならない宿命。已む無く息子に行かせることにした。

 「おばあちゃんが亡くなったのですぐ相談にきてほしい。自分は出かけているので直ぐ戻るから担当者の携帯電話の番号を教えて欲しいのです。」それからまだですか?まだですか?の電話が3回も鳴る。変だと思ったので、会社に電話を下さいませんか?すべて会社で対応しておりますので、個人の電話を申し上げることは差し控えさせていただきます。と申し上げた。

 それから更に三回のコール。息子から「今着いたが家の電気が点いておらずイタズラ電話ではないか・・・」大人のいたずらにしては全く度が過ぎるというもの。ましてや「命のイタズラ」は有るまじき事。これが事件や事故であったなら決して許せない。近くの交番に行かせても良かったのだが、携帯電話の番号がきちんと残っているので犯人探しはいとも簡単なのだが、今回は立った腹を横に寝かせることにした。

 それにしてももっとましなユーモラスすなイタズラが考えられないのだろうか。立派な社会人となり大人としての良識を伺わざるを得ないというもの。社会や時代のせいにしては全く恥ずかしい限りである。こんな時はやはり声を大にして、いけない事はいけないと諭さなければない。震災にあわれた方たちにこんな冗談は気の毒で恥ずかしくてとても聞かせられない。「命の重さ」を彼らは何と心得ているのであろうか?最もしてはいけない重大な「軽犯罪者」にならないよう祈るばかりである。

待ち遠しい春 投稿日:2012/04/10(Tue) 19:03 No.297

 本州では桜の花が満開のニュースがテレビの画面に映し出されていたが、まだまだ北海道では開花の予想が出来ない状況。とんでもない豪雪に見舞われた我が当別町ではまだまだ春遠からじといった毎日である。雪捨て場ではまだ排泄の雪を運んでいるダンプの往来。道路の真ん中だけは融けてはいるが、田や畑はそれどころではない状況。

 田んぼに融雪剤を蒔いてはいるが追いつかない状況で、あちこちのビニールハウスが雪の重さに耐えかねてグニャリと見事に?曲がりその損害は一軒当たり二百万から三百万もするらしい。基幹産業は「米、麦、野菜、花」という当町では、雪害だけはどうしようもない。何とかしようにも若い人が少なく全国どの地域でも農商工の後継者不足が悩みの種だが、それも致し方ないのだろうか?少子高齢化時代が到来しているが、子育てには最高の町であると自負している。何といっても空気が綺麗なことである。ゴルフ仲間のSさんは札幌のマンション引き払って自宅を新築。お陰で持病の喘息と腰痛がほぼ全快したそうだ。新鮮な「野菜」と「温泉」に恵まれ満足至極とチャーミングな白い歯見せてくれる。

 今年は雪融けが二週間程度遅れているので、何から何まで大変。まだまだゴルフを楽しむには寒すぎる気候だが、雪は必ず融けることになっているので、辛かった冬を忘れ新芽を出す草花を楽しみにユックリ、ジックリと待つことにしよう。

雪融けに 投稿日:2012/03/18(Sun) 15:18 No.296

 しばらくご無沙汰をしてお休みをいただきました。昨年お盆過ぎより連れあいが体調を崩し、入院手術、その後あらたに最大の病名が判明し入院し再手術と忙しい日々を過ごしておりました。あっという間に半年が経過、その後順調に完全回復、「心配ないです」というお墨付きをいただき家族一同やっと安心モードに入ることが出来ました。

 日頃から健康に自信をもっていても、何時危険信号が発せられるか解からないものです。過信をしないで時々は健康診断を受け 自分自身を大切にすべきだと 改めて考える良い機会でした。

 入院中忙しい中、態々お見舞いにおいで頂いた皆様に、この場をお借りして心から厚く御礼申し上げます。病院の一日は24時間が48時間に匹敵するぐらい長く、お見舞いに来ていただいた方々との数時間が 本当に嬉しかったと申しておりました。人はその人の立場に立ってみなければ、本当の事が解からないもの。

 また仕事柄、喪主の立場になってみなければ、ご遺族の気持ちがわからないもの。人は誰しも夫々の立場が、夫々あろう。それでもその気持ちや想いを少しでも共有してあげる事ができれば、尚やさしくなれるであろうもの。連れ合いの入院をとおして、そんな事を雪融け待ちわびて、ほんの少し体感させてもらいました。

2011年

心の花 投稿日:2011/08/26(Fri) 19:12 No.295

 花にはいろいろな形があり、そして色、種類、産地、季節と

 様々あるが、どの花も一様に可憐である

 そして夫々花への「想い」もある

 野の花も、山に密かに咲いている花も、川渕にひっそりと

 健気に咲いている花も、畦道に咲いている花も、

 ビニールハウスで一生懸命市場に出荷をされるのを

 待っている花も、花屋のフラワーケースで待っている花

 物日にしか用事の無い花も

 どれもこれもみな一様に愛しい

 けれど、愛しくても花の命は如何様にも短い

 短いからこそ 心に咲く

 手間を掛けても 掛けなくても咲く

 咲くとは「命であり、心であろう」

 仏様の好物は、「御光と御花と御香」と師が言われた

 そんなお花に拘わる仕事について41年の時間が過ぎた

 長い道程だったのか、短かったのか

 まだまだ先は判らないが、何よりお花が大好きだと・・・

 それだけは解かっている心算

慌ただしく・・・ 投稿日:2011/08/09(Tue) 19:07 No.294

 日々の仕事に追われながら、気がつくともうお盆

 一日という時間が瞬く間に過ぎてゆく

 一週間がこんなに慌ただしく早いものかと思いつつ

 一ヶ月がもう過ぎて、一年が直ぐ其処

 あれから四十一年という時間が過ぎ四十二年目を迎える

 次から次へと廻る日常と仕事への格闘

 感謝と反省の日々、そしてチャレンジと継続の葛藤

 一年半の間に、五人の親族を見送った

 人はその立場にたってみてはじめて解る心情

 彼の地へ見送る人、見送られる人

 どちらも人が先なのか、我が先なのか・・・・

 今日なのか明日なのか・・・・

 今日一日を精一杯我らしく、素直な心であり続けたい

感謝と惜別 投稿日:2011/07/27(Wed) 19:17 No.293

 義姉の訃報をうけ横浜へ駆けつけた。
余命半年という診断で、末期のすい臓癌だった。
長兄を見送り今年は三回忌を申さなければと言っていた。
あまりにも早い突然の訃報。

 私にとっては姉であり、母のような存在であった。
いつも優しく、気配りは最高で観音様のような慈愛に満ちた微笑を絶やさない人だった。寿命というには早すぎる。
これから自分のしたいことを完成させるのだと言っていた。

 趣味は多く何事も徹底的に追求し、満足するまで遣り通した
中でも宗教は本格的に研究していた
教本は殆んど見ないでも唱える事が出来た
俳句と短歌は素晴らしく驚くほどの作品があった

 読書が一番好きだった
本で溢れていた居間や自室は隙間が無かった
生前法名も既にうけ、お寺の学集会は皆勤だったそう
時折あのお寺さんの節は少し短いとか、低すぎるとか・・・
今日のお説教は、感激したとか・・・

 何時も一時間コースの会話が無性に懐かしい
惜別とは惜しんで別れると書く
お骨を拾いながら、感謝感謝で涙が止まらなかった
小さなお骨箱に納まった義姉はお浄土へと旅立ってしまった

 行年七十二歳の生涯でした
              合掌

木々の緑に 投稿日:2011/06/16(Thu) 19:15 No.292

 北海道の六月は実に爽やかで最高の季節、暑くなく寒くなく蒸し暑さもない。緑鮮やかな最高の時期でもある。道端のタンポポは黄色のお化粧、庭には柴桜が赤、白、薄紫、ピンクと色とりどりに満開、ライラックの白と薄紫は北海道の花の象徴。爽やかな花の香が、風と伴に頬に伝わり初夏の訪れを待ちわびている。

 山々には緑の演舞会が模様され、緑色の種類がこれほど沢山あったのかと思うほどだ。木々の種類ごとに色が違う様は本当に見事で、今までは何故こんな自然に気が付かなかったのだろう。新芽が出て山菜の季節でもあるが、蕨が出始めた頃、実家の父に航空便で送ったら、「こんな高いもん送ってくれて嬉しくて、大事に皆で食べたよ」と、言ってくれた事が懐かしい。

 今年は長雨が続き、気温も低く田植えが二週間ほどずれ込んだが、田植えも無事終え蛙の大合唱が始まった。今年は豊作になる事を願っている。畦の雑草も綺麗に刈り取られ、この田園風景はまるで絵に描いたようにすばらしい。

 来月には甥一家が赤ちゃんを連れて来る予定。絞りたての牛乳を調達してあげようと思っている。そしてアスパラも今が最盛期、蕗も韮もウドも食べさせてあげたい。豊な自然に恵まれたこの広い大地、空気も水も緑も最高。お客様大歓迎!!そうそうゴルフ場も最高でした。

木々の緑に 投稿日:2011/06/16(Thu) 19:14 No.291

 北海道の六月は実に爽やかで最高の季節、暑くなく寒くなく蒸し暑さもない。緑鮮やかな最高の時期でもある。道端のタンポポは黄色のお化粧、庭には柴桜が赤、白、薄紫、ピンクと色とりどりに満開、ライラックの白と薄紫は北海道の花の象徴。爽やかな花の香が、風と伴に頬に伝わり初夏の訪れを待ちわびている。

 山々には緑の演舞会が模様され、緑色の種類がこれほど沢山あったのかと思うほどだ。木々の種類ごとに色が違う様は本当に見事で、今までは何故こんな自然に気が付かなかったのだろう。新芽が出て山菜の季節でもあるが、蕨が出始めた頃、実家の父に航空便で送ったら、「こんな高いもん送ってくれて嬉しくて、大事に皆で食べたよ」と、言ってくれた事が懐かしい。

 今年は長雨が続き、気温も低く田植えが二週間ほどずれ込んだが、田植えも無事終え蛙の大合唱が始まった。今年は豊作になる事を願っている。畦の雑草も綺麗に刈り取られ、この田園風景はまるで絵に描いたようにすばらしい。

 来月には甥一家が赤ちゃんを連れて来る予定。絞りたての牛乳を調達してあげようと思っている。そしてアスパラも今が最盛期、蕗も韮もウドも食べさせてあげたい。豊な自然に恵まれたこの広い大地、空気も水も緑も最高。お客様大歓迎!!そうそうゴルフ場も最高でした。

安心しました 投稿日:2011/05/24(Tue) 18:56 No.290

 未曾有の東北大震災、福島の原発事故と、想定外の津波と地震の災害が起きたのは3・11でした。阪神淡路の大震災からもう16年の月日が流れ、思わずあの惨状が思い起されました。研修会で神戸交詢社の吉田社長の涙の講演をお聞きしながら、本当に想像を絶する被害に、涙が止め処もなく頬を濡らし身体が震えていました。

 そんな事を思い出しながら、福島のメンバーと中々連絡が取れず 毎日新聞の死亡欄を見ている毎日でした。先日要約連絡が取れ元気な声が聞こえ、無事を確かめ胸を撫で下ろしました。あの惨状は電話の奥からは計り知れませんが、とにかく御家族と社員のみなさんが無事であったことの報告を受けました。

 又一から出直しですが、原発からは距離が少し離れていたとの事、但し地震でホールが崩れリニュアルしたばかりなのに、大分補修をしなければ使用できないけれど、保険で何とかなりますから心配しないで下さい、と仰られた。

 高齢の御父様はジィーと動かず、お一人だけ非難をされず皆さんの帰られるのをお待ちになられたそう。色々とお話をされたが吉田社長のお話と大分重なるところもあり、改めて我々の仕事の大変さを思い知ることとなった。

 被害に遭われた方や亡くなられた方たちに、二十四時間体制でお世話しなければならない責務が私たちにはある。どのよう事情があるにせよ、艱難辛苦をのり越え今暫し辛抱して欲しい。些細なことでも私たちに出来る応援はさせて頂く所存です。でも御自分の体力をあまり過信しないで、相談しながらお勤め下さい、とも申し上げた。

お陰さまで 投稿日:2011/05/19(Thu) 19:07 No.289

 このところ葬儀の事前相談が多くなってきた。地域を問わず「ご相談ですが・・・」という電話が多く、最後にどちらからお掛けですか?」と質問すると、実は生まれ故郷で見送ってあげたいと家族で相談しましたと言われる。

 何十年も故郷を離れていても、古里は懐かしいもの。たとえ事情があろうとも最後のお見送りは生まれ故郷で、というのも、自分に置き換えれば納得がゆくというところであろう。家族にとっても、安心と安全、気持ちの整理をすることができるのであろう。

 そんな優しい思いやりが出来ることは 本当に素晴らしいこと。家族が仲たがいしているとなかなかそうはゆかない。きっと円満な家族なのだろうと想像できるし、兄弟仲良くしなさいとういう優しいご両親の教育であったのかも知れない。

 そんな御家族の葬送は雰囲気がまるで違うから不思議で、悲しみが何となく伝わってくる。少子高齢化の時代を向かえ近隣のコミニケーションが段々薄れてきた。都会に比べれば田舎の方はまだまだ其処まではゆかないが、それでも段々とライフスタイルが都市化しつつあるように思える。

 「孤独死」という嫌な言葉は是非とも使いたくも無いが、何事もほどほどのお付き合いをし、まわりの人達に心配をかけないで元気で永く居られるよう、お互い様の心を持ちたいものである。

新入社員 投稿日:2011/05/03(Tue) 13:15 No.288

 年度が替わり二名の新入社員が入社した。暫らく二十台の社員が居なかったが、今年から夫々の年代の社員が協力し合っチームを組み、新しい企画で先輩の指導の下で頑張ってくれると期待している。

 私たちの業界は専門知識がないと 仕事にならない。先ずはレクチャーしなくてはならないが、彼らはそれなりに自分自身でその立場をそれなりに理解してくれているのが、嬉しい限り。はじめの一歩を踏み出す事は 勇気と我慢と忍耐を持ち合わせなくてはならない。勤勉さはいうまでも無いが 幸いにも彼らは十分にその素質を持ち合わせているようだ。

 ポケットにメモを忍ばせ何時も何かを書き込んでいる姿は 本当に感心させられる。一人前と云われるまでは どの職業もそれ相応の時間を要する。先輩達の苦労や失敗に耳を傾け、又喜びの言葉を素直に受け入れる耳を養う。

 小さな会社だが自慢できる事がひとつだけある。それは創業八十六年というキャリア。始めることは容易いが、継続することは本当に難しい。当別の地では百年創業のお店が何社か存在する。最近では三十年で老舗といわれるが、頑張りだけでは存続しない企業の難しさ、後継者を育てられないだけでなく、この複雑な世相を乗り切る「信念」。

 未曾有の3.11の東北大震災、予期しなかった天災に、政治も経済もそして人の心も沈んでしまったのではないだろうか。16年前起きた阪神淡路大震災が起きた、あの悲惨さはまだ「心に」痛く残っている。それなのに今回の津波と地震、放射能被害は本当に辛い悲しい事。福島のメンバーの安否は未だにとれず、携帯電話も会社の電話も?がらない。

 どうかご無事で居てくださるようにと 毎朝お仏壇に灯明をあげお線香を一本だけ焚くことにした。そして無事が確認できたら三本のお線香をあげることにした。また全国のお知り合いのメンバーの方がいらしたら 是非連絡お願いいたします。

雪解け 投稿日:2011/04/19(Tue) 18:49 No.287

 山にはまだまだ残雪が方々にあり、雪捨て場の雪山もまだまだ消えないだろうが、待ち遠しい春は直ぐ其処まできている。庭の隅にひっそりとかたまっている福寿草が僅かに頭を出し始めた。チウーリップも双葉を出し始めた。

 そして蕗のとうも綺麗な黄緑色の衣装をつけ顔を出し始めた。川岸の筑紫も遠慮がちに頭を出し始めている。雪解け水が水量を多く出し始め、裏の小川は山からの濁流も混ざり 普段の倍程の水量である。

 待ちわびていた春は、一雨ごとに雪かさを一気に減らし始めた。朝晩はまだまだストーブの灯は欠かせないが、厚手のオーバーが春のスプリングコートに変わったという程度。それでもまだ厚手のセーターやコート類はクリーニング屋さんには出せずじまい。そのうち太陽が顔を出し始めれば、一気に子供達の歓声が聞こえることだろう。

 例年になく異常気温で積雪が多かった今年は、あちこちで融雪剤を蒔く風景が見られる。少し遅れ気味の農作業、今年は東北大震災で耕作できない農家のために、休耕などしないでしっかりお米を作って欲しいもの。

久しぶりに・・・ 投稿日:2011/04/09(Sat) 18:27 No.286

 このコラムをお休みしていたが随分とお叱りを受けました。

 どうしたの?  何で?  具合でも悪いの? 何かあったの?

 お陰様で何とか頑張ることに致しました。

 自分の想いを綴り続ける。

 これが私の願いでした。

 拙い文章ですが、今後とも宜しく御付き合い下さい。

2010年

命をいただいて 投稿日:2010/12/30(Thu) 19:44 No.285

 年末だというのにどうも体調不良が続き、咳が時々お出ましになる。風邪をひいたわけでもないのに、妙にだるさだけが続いている。あれこれしなければ成らないことが山積しているが、中々捗らない。もどかしさだけがつのるのに、どうにもならない。

 大晦日には姑を迎えに行かなければならない。きっと首をながくして待ちわびていることでしょうが、どうしても片づけておかなければならない事もあり、ご免なさいと心で手を会わせた。でも必ずお迎えに行きますから、お正月を一緒に過ごしましょうね。

 それまでにお婆ちゃんのお部屋をお掃除しておきますから心配しないで下さい。と、言ってはあるのですが今日は特別時間に追われっぱなしの一日でした。お仏壇のお掃除と神棚のお掃除は明日に持ち越しです。でも例年のことですから何とかなるでしょう。

 慌ただしい一年でしたが、来年は少しずつ何事も進歩している事と大いに期待して、また出来る事から始める覚悟。ブレる政治家が多いように思える昨今、自身はぶれないで頑張る覚悟。でも何事も「はじめの一歩」を肝に銘じて確実に硬く一歩、一歩、のろまの亀のように、進んでいければこんな嬉しいことはありません。

反省 投稿日:2010/12/21(Tue) 19:00 No.284

 今年も残すところ後十日、反省ばかりの一年だった。

 元気印が自慢だったが、一寸した気の緩みで風邪をもらい、これが中々完治しない。だるさを堪え乍ら休むことも敵わず、約束した仕事は何があってもこの業界は短時間でこなす事が鉄則である。

 計画どうりには中々行かないもので、ついつい手を出し、足を出しながら自分に都合のいい言い訳をしている。反省猿ではないけれど、幾つになっても自分を振り返り反省の日々を過ごしている。困った者であるが、それでも本人は一生懸命の心算だから、全く言い訳めいている。

 この道四十年のキャリアが泣こうというもの・・・
出入りの若い業者との会話も多少説教じみているのかな?
いやいや本筋は何処かの政治家のように、ぶれてはいない筈脱線は楽な方法だがそれだけは出来ないしやらせられない何事も決めたら、やり続けること。
「継続は力なり」
先代の口癖が双肩に重くのしかかる

 この道も、あの道も色々あるが、幾つもの山坂だったからここまで越えられた。なんだ坂こんな坂も勾配が急な時も緩い時もあったが、周りの人に助けられ感謝の気持ちだけは持ち続けてきた。この道は自分で選択した道、人に言われて決めた道ではない。すべて自分にあたわった道、だからこの道に進んだ。そしてこれからもブレナイでこの道に進もうと硬く心に決めた。

感謝と惜別 投稿日:2010/12/16(Thu) 19:43 No.283

 神戸、交詢社の社長のお招きで、「今年のルミナエル」を初めて社長と二人で甘えることになり、楽しい時間を共有させていただいた。きっと海風が冷たいだろうと予想して、普段着ることの無いダウンコートをルミナエルの為に買い求め、まるで子供のように嬉しそうだった。

 当日は孫の発表会を見て新千歳空港に直行、期待していたとうりで、社長は初めて見るルミナエルに見事な位満足しきっていた。地方の都市も是位の仕掛けで、観客を呼べる位のアイデァを出せると良いのだが、ただただ関心しまくりでしていた。来られて本当に良かった、来年は又当別のゴルフ場に是非招待しなければと独り言を言っていた。

 翌日は忙しい中、交詢社の社員の皆さんとラウンド。さぞかし寒いと思っていたが念のため半そでの下着を一枚いれていたのが大正解。十二月とは思えないほど暖かく、セータを脱ぎ捨て楽しく一日を過ごさせて頂いた。

 夜吉田社長と合流し、時間の許す限りお互い仕事の話に花が咲いた。いつもの事だが、我々全国のメンバーは仕事の話だけで一晩もつ。それも真剣そのものなので、酔うという所作を忘れてしまうほどで話は尽きない。是ほどのメンバーに出会えた事に、タダタダ感謝、感謝、感謝するのみである。

 夜半に会社からの連絡で、明日の予定をきりあげて急遽帰路につくこととなった。私たちにとっても、町の重鎮であり大先輩であり町の大切な方の訃報である。帰ってから伺おうと話し合っていたばかりなので、こんな惜別は予想だにしてはいなかった。大切な方とのお別れは、仕事とはいえ中々心に区切りを付けかねる要素がありすぎる。まことの感謝の祈りを捧げてお見送りをさせて頂いた。

師走 投稿日:2010/12/03(Fri) 19:54 No.282

 気がつけばもう師走に入り、今年も後僅かとなりました。

 この一年も本当に早く過ぎてしまって、反省ばかり。

 年頭に計画した事の幾つが実行できたのか定かではない。

 言い訳はいくらでも出来る。

 しかし、言い訳など恥ずかしくて出来ない。

 有言実行とは難しいもので、又来年になる。

 それでもヤルしかない。

 「一人で見る夢はただの夢」「みんなで見る夢は本当の夢」

 そうありたいと願っています。

心のサービス 投稿日:2010/11/17(Wed) 18:57 No.281

 「おもてなしの心のサービスの原点とは?」そんな事を考えながら、少し前のことだが、勉強の心算でトータライフ協会の勉強会の帰り、専務とリッツカールトンホテルに宿泊した。他のメンバーも宿泊し、遅い夕食を共にした。
話題はいつもこれからのセレモニーのあり方であったり、自社のお宝の御開帳であったり、いまの抱えている悩みであったりと話題は尽きなく、いつしか時間の経つのも忘れて語り合った。

 全国のメンバーの思いは皆同様で、確かに違うところは地域差ぐらいの事である。リッツカールトンホテルは何故高額の料金でもお客様が満足されて、リピーターとなられるのかと言うことだった。

 けれども答えは直ぐに理解できたような気がした。翌朝メンバーが朝一便でフライトの話を耳にしたらしくチエックアウトするとき、「お握り」が既に用意されていた。オーダーしておりませんがというと、「どうぞ機内で召し上がって下さい」と言われたそうで、その心配りが最大のサービスなのだと感心した。

 バスルームには足を滑らさないように、タオルが敷いてあったり、部屋に掛けてある絵は知っている画家の油絵であった。思いがけずこんな所で鑑賞できて、何て今日はついているのだろうと感激した。すべて本物で其れよりももっと嬉しかったのは、名前を呼ばれた事だったのかも知れない。

 一期一会とは言うが、たった一晩の宿泊なのに、お客様の名前をスタッフが覚えて呼んでくれるとは・・・小憎たらしいほどの心のサービスである。偽の心はあくまでもこころを打つことは無いし、心に響かない。見えないサービス程難しいことはない。

 「サービスの原点はホテルに有り!」

 そんな事を考えながら、今月のミーテイグは「心のサービスとは?」という原点に戻り考えたいと思う。

人形供養祭 投稿日:2010/10/29(Fri) 18:52 No.280

 今年の初雪は思いの外早かった。気象庁の予想は最近は何だかあてにならない、そんな様な気がする。

 道南に小旅行をしてきた際に初寒雪が函館山の頂上に綿帽子を被っていた。思いついた旅行だったので、ホテルとゴルフ場も事前に予約をいれておいたのだが、まさかその日が全国大荒れの天気になろうとは、思いもよらなかった。

 けれども私たちの仕事は、全く予測の就かない仕事なので思い立った日が、実行日なのです。
子供達が小さい頃は、本当に可愛そうな毎日でした。定時に帰宅は不可能で、学校行事もいい加減な参加ばかりで本当に仕事オンリーの日々だったように思えますが、幸い子供達は皆協力し合い出来ることを分担し支えあっていたようです。きっと、その頃から親の仕事の意味を子供ながらに理解し、宿命だと思っていたのではないでしょうか?

 幸い子供達は健康で、みな「皆勤賞」を持ち帰ってきてくれました。小さい頃から子供なりに葬儀の手伝いをしてきたせいでしょうか、葬儀の仕事の意味や役割を真剣に考えていてくれていたようです。お祖父ちゃんやお祖母ちゃんが、いつも身近にいてくれていた存在も忘れてはなりません。

 そんな中、「第三回の人形供養祭」が明日30日 ステラホールで模様されます。大切にされていた遺品や思い出の品、ひな人形、ぬいぐるみ、写真、灯篭、仏具などが、今年もホールの祭壇に所狭しと並べられております。午後一時から読経が始まります。懇ろにお払いをしたのち、「お焚き上げ」をさせていただきます。

 「お墓の御相談室」をもうけ、どんな小さな事でも、心配なく安心してご相談下さい。来年の御予約も承っているそうです。

 また関連業者さまの御協力もいただきながら、プレゼントも沢山ご用意いたしております。まだまだ間に合いますので是非お越しをお待ちも申し上げております。

お礼の言葉に 投稿日:2010/10/12(Tue) 19:24 No.279

 知人の母上が、享年96歳の生涯を静かに閉じられた。「母の死が、こんなに悲しいものだとは思わなかった。」

 溢れる涙がこんなに胸を締め付けようとは、考えもしなかった

 母の有難さが、今ようやく解った

 なんでこんなに寂しいのか、もう息をしてないんだよね・・

 父の時は、涙が出たのかどうか覚えてもいないんだから・・

 母親って、凄いよね・・

 六年も入院していたのに、その時は声をかけられなかった

 何でだろうね・・・

 男って母を見送ってはじめて、気がつくんだから・・・・

 全く男ってしょうがないよね・・・

 こんなに小さなお骨になってしまって・・・

 後飾り後、こんなお言葉を傍で静かに聴いておりました

 そして、本当に何から何まで、良くして頂いて親戚一同感激してました

 霊柩車が火葬場への道ではなく脇道にそれたので、何かあったのかなとバスの中で騒がしくなったんだよ。

 そして、一同「アー」と声をあげたのさ。

 自宅の前で停車し、霊柩車の運転手がクラクションを鳴らして合掌してくれて、やさしい心配りに、親戚一同大いに感激したのさ。

 俺達考えもしなかったけど、家の前でみんなハンカチで涙を拭いたのよー。バアチャンなんぼか帰りかったべさー。
ベテラン社員の心配りにお礼を言われ、早速社長に報告した

 も一つあった、「お別れ言葉」に孫達は、隠して何か書いてあげてたよ。どの孫にも、それはそれは優しく皆大好きで、バアチャンと内緒話が何より楽しかったみたい。

 祭壇の遺影写真のオバアチャンの前で、小さな手や大きな両手を合わせ孫達は、どの子も何かつぶやいているのがとても印象的だった。きっと誰にでも優しいおばあさまだったのでしょう。

 帰り際、「本当に良くしてくれてありがとう。」このお言葉が何よりの供養です。  合掌

開基140年 投稿日:2010/10/07(Thu) 19:02 No.278

 当別町開基140年の記念行事が、盛大に催されます。

 北海道は本州からの移住者が多く、苦難の選択をし、艱難辛苦をのり越え、140年と言う歴史を刻むことが出来ました。
先人達のご苦労は筆舌尽くしがたく、「当別歴史記念館」の絵巻や農作業に使用した道具類等を見るとき、こんなに汗水を流しながら、移住されてきたのかと言う思いにかられる。

 人の前に道は無く、人の後に道が出来る。
この道は、未知の道へと続く。

 140年という長い時間をへて、こんなに素晴らしい道が続いている。
この道を未来に繋げていくという大切な使命、と責務がある

 時間の重さを噛締めながら、次世代の人たちへのメッセージをおくり続けなければならない

 素晴らしい当別の町の「発展、と進歩」まだまだやらなければならないことや、語り伝えなければならない事もあろう

 140年という時間を振り返り、新しい一歩につなげるために・・・

ななかまど 投稿日:2010/09/29(Wed) 19:34 No.277

 気がつけばもう今月は後一日、何かと慌ただしくただスケジュールを消化するのに必死だったのかも知れない。 
孫の初めての運動会にも参加が叶わず、それどころか予定表には公、私共に埋め尽くされている。
有難い事に、その度に周りの皆さんのお陰で、体調が思わしくない時でさえ助けてくださった事に大いに感謝、感謝のオンパレードでした。

 全国各地から御恵贈いただいた沢山の品々の御礼の手紙を、腰を落ち着けて出させていただこうと思っている。
返事も出さないできっと非常識なと思っておられていることでしょう。この場を借りて篤く御礼申し上げます。

 北の大地では収穫作業も終盤に近づいて参りました。山から吹き降ろす風も寒さが身にしみ、朝晩はもうストーブに火を入れておられる家庭も増えてきました。
庭の「ななかまど」の実も、ほのかに赤身を佩びて来ました。今年は一晩で、夏から秋へと豹変した年でしたが、「ななかまど」の葉がすっかり落ちて、赤い実が可愛く垂れ下がる頃には、元気を取り戻して、少しでも地域や、周りの人々のお役にたてたらと念じております。

お花の心 投稿日:2010/09/03(Fri) 18:52 No.276

 忙しかったお盆も終わり、交代で遅い休みを振り代えている。今年の夏は異常に暑く、皆大変だったよう。疲労もピークに達していただろうに、よく頑張ってくれていた。

 日曜も祭日も無く、皆仕事が入れば御遺族様の為にと、最後まで責任をもって担務をしてくれている。流れ落ちる汗を拭きながら、時間に追われ、冷房設備のないお寺での葬儀は、本当に頭が下がる。

 ステラホールは冷暖房完備なので、ご遺族に余分な心配をおかけすることなく、シャワー室やお風呂の使用が例年に無く利用が多く、40枚のバスタオルが大いに活躍した。お役に立てる事が何より大切、といつも思っている。

 本店の若いスタッフたち、「活花の練習」を本格的に始めた。先生は小原流だが、御花の基本は活花から始まる。お花の名前、市場での呼び方、植物図鑑での名称、一般的なよび方等など、皆一から勉強し始めた。

 皆の意欲が何より頼もしく、その「こころ」を知るという事が大事ではなかろうか。切磋琢磨しもっとご遺族に寄り添えるお花を、お届けできれば尚満足出来ることでしょう。

異常気象 投稿日:2010/08/31(Tue) 18:41 No.275

 こんなに暑い日が続くと 人も植物も皆体力を消耗し、地球の温暖化は 自然を破壊するのだと思う。地球の裏側では反対に冷夏で全くの異常気象。突然の豪雨が作物の成長を遮る。今年のジャガイモは壊滅状態だそう、長雨にうたれ市場に出荷できる状況にないそうだ。

 例年全国の知り合いに送って居るのだが、今年は全く無理で、自家用も難しいといわれた。きっと待っているだろうと思うが代わりの、南瓜も雨がついて商品価値が無いから断られた。幸いお米は何とか順調に生育しているようだが、これからの雨しだいというところか・・・

 とうきびがアライグマに食べられてしまって、自家用さえも無いくらいの被害だそうで、お店から買ってきて食べていると、親戚から言われた。何もかも 大雨の被害が甚大で、想像を遥かに超える現状は、この先どうなるのだろうと言う不安が押し迫る。

 この国の政治家は、坂本龍馬のようなリーダーシップをとれる人材が現れない限り救われない。詭弁だけの政治家の演説には 信頼と言う言葉さえ風に吹かれ、自身の目標さえもみうしなっている。相変わらずの不祥事も風が吹けば 何処かへ飛んでいっている。信念をもって政治の道を選択したのなら、最後まで松任してほしい。異常気象は政治の場で、起きてもらっては断固困る。

絆とは・・ 投稿日:2010/08/22(Sun) 17:56 No.274

 残暑厳しい今年の夏、お盆を過ぎれば信じられないほどの秋風が舞う北の大地、今年はそんな期待が見事に裏切られた暑かったとんでもない気候。地球の温暖化が叫ばれている中、猛暑で高齢者の熱中症での死亡が多く本当にお気の毒なことである。

 悲しい事故や事件が余りにも多すぎる世の中に、平和ボケをしているのかと、疑いたくもなる。幼子の虐待も毎日のように新聞を賑わしている。どうにか成らないのかと思うが、誤った個人情報保護法が足かせとなり、手をこまねいているような状況は、隣人でさえ戸惑いを覚える。

 一人寂しく亡くなった事も判らず、何日も放置された悲しい御遺体にも気がつかず、一人暮らしの高齢者の最後はどうなるのであろうか・・・明日は吾が身と捉え、支えあいの気持ちをお互いもつことが何より寛容ではなかろうか?

 それにしても第一に家族の「絆」は何より大切ではないのだろうか?親を思い、子を案じ兄弟、隣人と仲良く、当たり前のことが如何にも欠如し過ぎている。誰かのせいでもなかろうに、憤懣やるせない思いである。

 この世に命を授かる時も、その人生を松任する時も、人は皆人の手を委ねて幕を引く。長いのか短いのかは人それぞれだろうが、最後に「お陰様で・・」と言えるそんな優しい心を 持てたら何より嬉しい。

ご免なさいね 投稿日:2010/08/15(Sun) 18:57 No.273

 齢96の姑は健康で、毎日三度の食事はしっかり頂いているのでとても元気。お盆には自宅に帰れると楽しみにしていたが、残念なことに受け入れ準備が整っていないので、おあずけとなってしまった。「ごめんなさいネ、」と心の中で手を合せ許しを乞う。

 どんなにか帰りたかっただろに、どうしても仕事が斬れなくて、帰宅が遅くなり毎日疲労困憊の状態がつづいてしまった。自身もお薬の服用が必要なので、とても義母には心配をかけたくなかったのも理由の一つである。高齢なので二十四時間目を離すわけにはいかかない。少しの段差でもすぐ骨折につながるのが、非常に気になる。

 骨阻喪症なのでレントゲンもお手上げ状態で、見事なくらい細い線ばかりがフイルムに映し出される。本当に可哀そうなくらい頑張っているが、中々義母のリクエストには応じられない。ほんの僅かのことにしか答える事ができないので、いつも「ご免なさい・・・!」ばかりの返答である。

 先日、「ハーモニカを持ってきて欲しい」というので、引き出しを捜したら、4ケも出てきて驚いた。いろんな種類があり、本当に吹けるのか疑心暗鬼だったが、何とも器用で伴奏つきで葺けるのだそう。96歳の奏者の音色を、今度ゆっくり拝聴したいと思っている。

 百歳を超えた老人が全国で消えてその存在すら不明だとか。当別町では全員確認できて居るのだが、都会の老人がいつの間にか生存と所在が不明で、家族も感知していない方が、段々多くなってきている。老人の年金搾取が大きな目的だそうだが、そこまでして実の親の年金を黙っていただかなければならないのだろうか?

 戦争を体験し、幼子を必死の思いで育て、家族を養いその末路はあまりにも悲しく、侘びしく、切ない。忽然と消えた?そんな事が実際にありうるのかと信じられなかったのだが、役所の調査はあまりにもいい加減で杜撰でうさんくさ過ぎる。役所は本人確認を怠ったのに、年金を払い続けたあげく年金が不足してしているので、支給額を減らそうとしている。

 長かった是までの政党のツケを新しい政党は、決裁し続けなければないという責務。これまでの政治は本当にこれでよかったのだろうか?本当に納得しているのだろうか。高齢者が安心して暮らせる世の中が本当にくるのだろうか?あたえられた人生を安心して松任出来る。そんな夢見たいな時代が遠からず訪れてくる、戦争のない平和な世でありますようにと、切に願う一人でありたい。

ねじれ気候 投稿日:2010/07/27(Tue) 18:46 No.272

 国会がネジレ現象を始めたら、夏の気候までもが捻じれているような気がする。暑すぎる日があったかと思えば、寒くてカーデガンを羽織らなければならない日が続いたりもする。こんなに気温差が激しいと、どの業界でも非常に困る事が多くなる。

 地球の温暖化がもたらす影響は測り知れないが、ひとりひとりが、ほんの少し関心をもって、温暖化現象をくい止める方策に協力出来れば、1パーセント位は下がるだろう。ほんの僅かの協力で、気温が一度下がるだけでも随分と違う。

 何かにつけての捻れは、疑問に思うことが多すぎはしないだろうか?・・・日常の生活からも確実に変化が見られるように思う。そんな考えは古いと言われそうだが、其れは文化の変化がもたらす事かも知れない。

 しかし、何でもかでも省略すればよいということではないと思う。例えば命終後、何もしないで火葬場へ直行という、考えられない行為は何としても考えられない。本当にそれで残されて人は後悔の念に駆られないのだろうかと思う。

 たとえその故人に生前何かがあったとしても、故人は残された遺族に何かを必ず残している筈。皆仲良くしなさいとか、こんな失敗は繰り返すなよとか、後は宜しく頼むとか、十分お世話になったね、有難うとか数えればきりが無いほどあるだろうにと。

 家族だけはどんな事があろうとも、決して簡単に捻れてほしくない。捻れることは大罪かも? そこで管総理も落ち着いてこの捻れの意味を深く考えて欲しい。そしてこの一票の重さは測り知れないということを、もう一度改めてどうあるべきかを練り直してほしいものである。

雨の日に 投稿日:2010/07/12(Mon) 19:39 No.271

 今日は朝から一日中、シトシトと小雨が降り続いています。寒いような蒸すような、何ともからだにシックリ来ないいやなお天気ですが、御通夜の準備に忙しいスタッフは、小雨の中を出たり入ったりと大変なようです。

 傘を差している暇などありませんが、今日は一件の飾りだけでしたので御遺族様と一緒に十分時間をとれたようです。高齢のお母様も十分にいたわって、付き添い配慮してくれたことと思います。

 葬家担当の彼の素晴らしい一言、住まいから式場に向かうその時、お柩に向かって「さぁ時間なのでこれから式場に向いましょうね。最後に御家族にお別れをして、サヨウナラと皆さんに感謝をしましょうね」。どんな時でも必ずお柩にお声をかけてからお連れするようです。

 他のスタッフは中々その一言がかけられないようですが、御遺族にとっては、その一言が何より嬉しいそうです。御葬儀が終わった後に必ず御家族様から言われることは、「あの一言が何より嬉しかった」と。そんな心優しいスタッフは会社の大事な宝です。

季節代わり 投稿日:2010/07/10(Sat) 19:07 No.270

 三十度を越す日があれば、二十度一寸と言う日もあって温暖の差が例年に無く激しい毎日です。入院なさっている高齢者にはこの温度差が非常に過酷で、急激な体温調整が耐えられないそうです。

 そんな中、ここ一週間は救急で搬送された患者さんの死亡が多く、特に高齢者が一際多かった。当別は空気が最高に清んでいる地域で、喘息の持病をお持ちの方の転居が珍しくありません。なかには、当別に来て喘息が、完治したと言う方も何人か居られるほどです。

 ゴルフ仲間の韓国人のSさんも、当別に住まいを移され、寒くなると韓国に行ったり、韓国が暑くなると当別に戻るという暮らしをされているほどです。こんな素晴らしい空気のきれいな当別を、大いに自慢したいものです。

 清んだ水は何ほどか基幹産業である農業を支え、緑は鮮やかで人間らしい暮らしが出来る唯一の大地。故郷の大阪から御夫婦で移住されてこられたOさんは、終の棲家にやっと出会いましたと絶賛されている。

 季節の移ろいは人を変え、心を癒し、命の行く末を見守る。短い夏の北の大地、身も心も、この御縁に感謝、感謝をしつつ恵まれた水と緑の恩恵は計り知れない。

言づて 投稿日:2010/06/25(Fri) 19:22 No.269

 人は残されたあと僅かの時間に 何をことづられるのだろうか?自分だったら誰に何をどういう風に伝えておかなければならないのだろうか?連れ合いに、家族に、兄弟に、社員に、友達に、恩師に、親戚に、お得意様に、お世話になった方たちに・・・・

 自分は普段元気な時は考えてもみないのだが、どれ程多くの人たちと関わりを持たせて貰ったのだろうか?思い起こすすべも無いが、実際は数え切きない程多くの人たちと拘わりがあったことだろう。ひとつ歳を重ねるたびに、何十人もの人たちと出会ったことだろうか。いや、何百人だろうか、おそらく数えきれないことでしょう。

 記憶にはないが記録ある限りは其れ相応うにある筈。また時間がたてば、その記憶も定かではない位に、緩やかに忘れ去ってゆくもの。悔しいことだが、それが自然との闘いでもある。一度時間が出来たら、何か記録に残しておかなければなるまい。

 何れは誰しも逝く途だが、逝かれし人からの「ことづて」は、残された遺族にとっては 有難いこともあれば又その意に適わぬこともある筈。よくよく考えねばならないが、逝かれし彼の人の想いがどうか優しさに溢れた「愛のことずて」でありますようにと、願っている。

本業の重み 投稿日:2010/06/20(Sun) 17:55 No.268

 何時も下手なゴルフに付き合ってくださる大先輩のお話は、とても興味深い内容でした。ホールアウトした後はシャワーを浴び、大好きなコーヒーでブレイクアウト。

 爽やかにさっぱりした面持ちでポツリポツリとお話が続く、スコアーなどは全く気にしていないから?会話に花が咲く。ゴルフは健康とマナーが何より大切なスポーツと割り切って居られる。成る程、そのとうりですよね、以前はよく色々と優しく教えて頂きました。

 お陰様で、何とか人並みにコンペにも参加させていただけるようになりました。でもまだまだ教えていただきたいことが、随分とあるのですが、大先輩のスケジュールがビッシリと詰まっているので、私の為に?少し時間をさいて頂けるともっと嬉しいのですが、叶わぬお願いですよね・・・

 先ずは、昨今の話題は政治から始まり、次に経済の話題と続き、最後は自社の話から町の話題へと内容も非常に濃く、いつも感心させられている。その中でも経済の話は興味深く、百年に一度の不況で、北海道経済は今が最も深刻という事。北海道はいつも一年遅れてやって来る。

 他社では本業に将来を見出せず、異業種に参入している企業が増加している。先代は苦しい時こそ、基本に立ち返り見直すべきで、苦しい時は皆おなじである。だから経営者たる者はいつの世も艱難辛苦をのり越えて、今の立場にいられるのだと言われた。

 立ち返り我々葬祭業者も異業種の参入が非常に多く、葬儀社たる経験や知識も何も持たず、葬儀者としての資質を問うべくすべも無い。葬儀や宗教の研鑽も知識も経験も持ち合わせず、ただ手数料稼ぎの取次ぎを、大きな顔をしてお粗末な仕事を生業にしている。遺族の悲しみや、命の伝達を宗派による葬儀式を深く考えもしない司式を執り行っている。

 挙句の果てはバーゲンじゃあるまいに、半額セールを売りにしている業者も出てきた。悲しいことに又、官が民を圧迫するような団体も出現している。本業を忘れたこれらの団体や企業は、今こそ真の意味の本業の務めを果たすべきであろう。何十年という時間をかけて、現在があるのだから当然だが、事業の継承は深く考え信用と信頼のうえに成り立っているのではなかろうか・・・

 本業を疎かにすべきではなく、本業こそが一番重い大切なことなのだと、教えて頂きました。先輩のお言葉は非常に深く重みのあるお話でした。有難うございました。

御法話 投稿日:2010/06/09(Wed) 19:03 No.267

 先だっての御法話、最近の死者への見送り方のあり方に付いてというお話でした。

 そこで命の重さと尊さと、いう人の心の捉え方のお話で

 とても悲しい、寂しい心の在りようを嘆いておられました

 故人はどんな形でも、篤い心、優しい心、尊厳する心

 そんな心をもって、拘わりの会った方に見送っていて欲しかったのではなかろうか、と・・・
「形よりも心です。そこで命と言う大切な重いものを繋ぐ」

 お釈迦様は何よりもその事を伝えるために、私共を遣わせたのです。
直葬とかいう変なものが流行っているそうですが、きっと後悔するはずです。
時代と共に葬儀の意義も随分と変わりました。

 それは仕方の無いことですが、変わらないことは変えてはいけないと思う心です。

 仏様の御心は、一人一人の心の中にある筈です。

 どうか今一度、両の手をあわせ、合掌の心を御心に問うてみてください
会葬者おひとりおひとりが、心にしみた御法話でした。

ご苦労様 投稿日:2010/05/31(Mon) 19:31 No.266

 勤続二十年に少し足りないTさんの最後の日

 まだ元気なのだから、もう少し頑張ってみたら?と、社長

 遠方の娘の家に旅行がてら行こうと思います

 一家を支え、三人の子供を抱え女でひとりで頑張った

 彼女の踏ん張りは本当に凄かった

 仕事が重なった時でも、二トントラックを運転

 細いからだではあったが凄い力持ち

 ビールが大好きで、誰も彼女には叶わない程の酒豪

 何処からそんなパワーが出るのか皆不思議だった

 どんな事にも「ノー」とは言わず、チャレンジした

 草食男子ならとてもタジタジになるでしょう

 そして、会社では生花部の主(あるじ)の存在

 本当に本当にご苦労様でした。お疲れ様でした。

 皆、明日からは貴方の存在価値がきっと解かる事でしょう

遅かった春です 投稿日:2010/05/22(Sat) 20:07 No.265

 一向に気温が上昇しない 今年の寒い春の訪れ。

 それでも花々は、震えながらも花実をつけて咲き始めた。

 赤や青、白、黄色、紫と夫々が想いおもいの衣をつけて

 目にも鮮やかな 春の伊達衣装

 みんな可愛くて可憐で愛らしいから嬉しくなる

 野や山の緑も 花々には安々と負けてはいられない

 これからが 北の大地の荘厳な世界のはじまり

 太陽が眩しく 目に映える爽やかな季節です

 そして一番凌ぎ易く、季節の移ろいを体に感じる日々

 おくられし人、そして送りし人 

 その道程が どうか安らかでありますように・・・

                     合掌

認知症 投稿日:2010/04/28(Wed) 19:39 No.264

 小雨が今日も降っている中、傘を偲ばせてはいるがどうしょうかと迷いながら来週の天気予報が気にかかった。所用がありどうしても行かなければ後悔すると思ったからだが、地方なので一日一便の往復便。これでは全く用事が足せなく、商用には最低三日を要する。

 日本航空の減便は利用者からすれば、自分たちのツケをお客さんに押し付けたに過ぎない。静岡空港も政治の責任で、狭い日本にこれだけの空港がはたして必要なのかと思わざるを得ない。政治家はもっと先を見据えた政治を、腰をすえて国民の為にすべきではないのかと思う。

 税金が果たして国民の為に正しく使われているのだろうか、キチンと立証しなければならない義務と責務がある。独立行政法人は全部廃止とうたっていた与党だが、些か疑問符がつく。出来ること、出来ないことを正しく仕訳すべきではないかと思う。出来ない約束は、はじめからしない方が良い。

 葬儀社のチラシにも、信じられないような低価格がうたってある。業者がどんな原価計算をしても赤字が予測される施工に、遺族は信頼をおいて依頼できるのだろうか。安かろう、悪かろうの業者の存在は、消費者の信頼さえも揺らぎ失う事は必然である。

 低価格を売りにして、しなければならない事柄を全部省略して、予算が足りなかったのでお握りにさせていただきました。そのおにぎりも一人二個で、かろうじてお新香がついているだけのもの。同業者として情けなく、真にモラルを問い質したいものだ。

 故人を見送ると言うことは、悲しみの遺族に代わって、葬送の儀をお手伝いさせていただく事ではないのだろうか。ひとつしかない大切な命の伝達式であろう。そこで業者自身が「認知症」に繋っては 全く道理に外れる。そんな浅智恵が業界を本末転倒せているのではなかろうか。悲しい限りである。

小さな訪問者 投稿日:2010/04/26(Mon) 18:37 No.263

 行きつ戻りつつあった春も、要約このところ春めいては来たが桜の開花にはまだまだ時間がかかりそう。今年は冷夏の予想で土中の温度が中々上昇する気配が見えてこない。基幹産業である農業の先が見えてこないことに、皆不安を抱えている。

 国の農業政策も不安の材料で、後継者不足は否めない。補助金を当てにしているような施策は、食料不足を増徴させるように思えてならない。今でさえ野菜の高騰は一般家庭に大きな負担を背負うことになっている。主婦の嘆きはまだまだ納まりそうに無いのだが、いくら智恵を絞ってみても限度がある。

 疲弊しているこの町も国も、打開策を早く見つけて安心して暮らせる穏やかで、平和な暮らしをしたいものだ。一つ良ければ又一つよくない事が巡って来る。それでも人の生き方や考え方は、その人しだいで、助け合ったり助けられたりで大事なことは、感謝の心を持ち合わせているかではないだろうか。

感謝の心で 投稿日:2010/04/13(Tue) 19:09 No.262

 例年よりは降雪量が少なかったにも拘わらず、中々雪山が消えない。積み重ねたところはまだ暫らく消えないだろう。春遠からじと云ったところか、近隣のゴルフ場はオープンーの日が延期、待ち遠しさを感じながらも、鼻水を出してさえもクラブを振りたそうなゴルファ達の顔が浮かぶ。

 少しでも気温が上がればよいのだが、月初め所用で関西に出かけた折、電車の窓から見た爛漫の桜が思い出される。川べりに花びらが舞い、造幣局の夜桜を思い浮かべ、時間があれば足を運んで 大阪の満開の桜を満喫したかった。

 一息つく間も無く、総合体育館での葬儀に奔走するスタッフ。会葬者はおそらく千二百人はおられたであろう。前日のセッティングが終わったのは夜中の12時を過ぎていたであろうが、皆よく頑張って奔走してくれた。

 少ない人数でもこれだけの大きな仕事がこなせるのは、普段からのチームワークのお陰と、ひとりひとりに感謝、感謝です。供花も160基以上はありましたが、夫々が役割分担してくれたからに他ならない。それよりも広い会場での仕事は、想像以上に 次から次へと出てくるものだ。

 何度も経験はしているが、いつも以上に気が張り詰めるこの緊張感。あってはならない事ばかりなのだが、皆の目が充血している。其れほどに緊張感をもって頑張ってくれているスタッフに大いに感謝。

 何よりの喜びは、「有難う、お陰様で無事故人を見送ることが出来ました。きっと喜んでいてくれていることと思います。」と、言う御遺族様からの嬉しい有難いお言葉を頂戴したことでした。当たり前の事を、当たり前にする事が困難な時代ですが、私共は何よりもそのことを、何時も大切にしていこうと心掛けております。

桜、さくら 投稿日:2010/04/06(Tue) 18:31 No.261

 北の大地の桜の開花には、まだまだ時間が繋りそう。

 山々は まだまだ寒そうに雪化粧をしている。

 陽のあたる処は地肌を見せてはいるが、温度があがらない。

 山笹に少しだけ雪を乗せてはいるが、溶けた水がポタリと<br />一滴落ち始めた。

 阿蘇岩山の山桜、今年はまだまだのんびりしている。

 所々に咲く花たちも もどかしそうに只管待ちの体制。

 祭壇の隅にあしらう桜、

 故人はどれほどか桜を待ち望んでおられただろうか・・・

 そんなお気持ちを察し乍ら、花をさすスタッフ達。

 優しい気持ちに寄り添いながらのスタッフの心配りが嬉しい

花縁 投稿日:2010/03/27(Sat) 18:31 No.260

 ある会合で久しぶりに大先輩に、お会いした。

 冬季間は人も動物も冬眠に入り、中々交流が出来ない。

 天気が左右するので、足元もおぼつか無い。

 出不精にならざるを得ないのがとても苦痛。

 お誘いがあれば何とか頑張ってハンドルを握る。

 まだまだ冬将軍はそこら辺でウロウロしている。

 もう三月も終わりなのにいつまで居座るつもりなのだろう?

 大先輩に「花縁」はなえにしと言う言葉を、贈られた。

 お花を縁に繋がりを頂けたのが、大そう嬉しかったのだとか・・・
 私の方が恐縮至極でした。

 大切にお言葉使わせていただきます。

無題 投稿日:2010/03/23(Tue) 18:49 No.259

 今日は先代の祥月命日、御住職が大きな声で「おはようございます、お寺です」と、入ってこられた。家族は皆出勤しており自分だけが代表して御参りすることになった。

 仏間の先代の写真は何時もおすまし顔で、自分たちを見下ろしている。何といってくれているのかは解らないが、多分皆で頑張ってくれよ。といっているに違いない。先々代と良く似た顔つきだが、やはり親子似ている箇所が目。

 人の話を聞く時は目を見てしっかり聞きなさい。と母によく言われたものだが、可笑しなもので自分もおなじ事を人にいっているようだ。時代が変わろうとも、変わらないないこと、それは「篤いハートであり、温かく優しい心」だと思う。

 七日ごとの仏花と四十九日のお花のお届けは、御遺族様から大変喜ばれている。態々御遺族様からお電話を頂戴することも珍しくないが、何十年も続けてこられたことに、こちらの方が恐縮する。ほんの僅かな気持ちでも、当たり前と思って居て下さらない事にも感謝である。

 春の嵐はもうすぐ去ることだろうが、お彼岸は春分の日を境に前三日、後三日。二十四日が彼岸明けである。北海道のお墓はまだまだ雪の中に埋もれている。御先祖様に会えるのは、川の水が緩みはじめ、山々の雪化粧が終わりを告げ、土の温度が上昇して霧けむりで昼間から、自動車のライトをつけながら運転しなければならなくなる、そんな日を迎えてからでないと待ち望んだ春は来ない。

 木々の緑が芽を吹き、小川のせせらぎが煩く感じる頃、訪れる春に感謝しよう。

お陰様で・・・ 投稿日:2010/03/17(Wed) 18:50 No.258

 毎朝の日課は御先祖様にお灯明をあげ、御仏花の水を換え、仏飯とお水を揚げることから一日が始まる。多少おまけの般若心経を唱え、お不動様に今日一日の無事息災をお願いする。

 時々我が家にお泊りして ナムナムチーンとお参りしてくれる初孫も4月からもう幼稚園に入園。1歳となる長男の孫もお誕生日を迎える。久し振りに賑やかな一家勢ぞろいして子供達や孫達とひと時を過ごす予定。

 当別爺ちゃんも当別ばあちゃんも大歓迎。そうそう当別叔母ちゃんもプレゼントを用意しているようですよ。ご馳走は何にしようかと今から考えている。嬉しい悩みだけれど、こうして事あるたびに皆が集まって顔を見せてくれる事が何より一番。

 お陰様で皆健康で達者なことが最高の親孝行。何も残してあげることは叶わないかも知れないが、家族、兄弟がいつもお互いコンタクトを取り合いながら、和気藹々としてくれていることが 私たちへの何よりの御褒美です。

 お陰様でという感謝の心で手を合わせ、八十六年葬送の仕事を続けてこられたことにも手を合わす。「継続は力なり」先代の言葉が心に響きます。

三寒四温 投稿日:2010/03/10(Wed) 15:13 No.257

 春を思わせる日があったかと思うと、朝起きてみると降り積もった雪が屋根を覆い隠しずっしりと重たくしている。待ち遠しく思う北国の住人は根気があり、何事にも耐え忍ぶという心を、持ち合わせている。

 そろそろ卒業式シーズン、背中合わせに入学式も間近に控えている。各校の合格発表も終わり町の彼方此方には、医療大学に合格した父兄と生徒が、お部屋探しをしている姿が見受けられる。まだまだ足元が危なく、解けている箇所や日当たりの悪い箇所はアイスバーンで、見ている方が恐ろしくなる。

 冬用の履物を履いているのかと心配しながら、心は「当別に来てくれて有難う!」と、感激している。親御さんの心配を無駄にせず、しっかり勉学に励んでくださいねと・・・緑に囲まれた空気の澄んだこの町、こんな素晴らしい環境で勉強できることに感謝して親の期待を裏切らないでと願う。

 成人式、節分、お彼岸、卒業式とイベントは続くが、この季節は本当に気温の変化が激しい。体温調節をしっかりしていないと大変で、暖かい日が続いたのでもう厚着は止めようかと思っていると、冷下に引き戻ったりと毎日が目まぐるしく気温に左右される。季節の変わり目は死亡率も高く、特に高齢者には気をつけてあげたい。

 最近の暖房設備は進んでいるので、何処のお宅でも寒いお部屋が無いくらい密封状態の建築様式が進化している。以前は屋根の雪下ろしで足を滑らせ、不幸にも死にいたったケースが何件かあったが、最近では皆無で安心して暮らすことが可能になった。

 あと数週間で雪かさがグーンと減って、毎日外へ出るのが楽しくなる。そうそう最近は、事前相談の件数が断然多くなってきている。先週も某会社の社葬の相談があり、専務と二人で会社訪問してきたのだが、総務部長さんは又来週お会いしたいので是非お立ち寄り下さいと念を押された。その頃には、路面はすっかりアスファルトが顔をだしている事でしょう。

入籍祝い? 投稿日:2010/03/07(Sun) 19:28 No.256

 一寸お話ししなければならない事があるの・・・と、知り合いが寄って来た。怪訝そうな態度に何かしら重大な事があるのかと 話を聞く前から心配になってきた。よからぬ想像をしてみたが何とも思い当たるふしがない。

 「実は早く報告をしなければと思っていたのですが、息子がこの度結婚をしました。子供ももう一歳になり、やっとおばあちゃんにさせてもらいましたの。遅くなって御免なさいね。何時お話をすればよいのかと、顔を合わすたび思案しておりました。」

 「ほんの少人数でお祝いをしましたので、気を遣わないで下さいね。本来なら報告しなければならない大事な方なのに、双方海外でお式を挙げるという事になったらしく、際のキワまでキャンセルするとは思っていなかったので、若い二人に任せておきましたノ・・・」

 おめでたい事は何より嬉しい事、どうぞお幸せにね。という事しか言えなかった。結婚は人生の最大のスタート、皆で喜び祝福しあうものだと思う。親戚縁者と縁を結びこれから先の人生の繋がりを良きにつけ、悪しきにつけ相談し、教えを請えれば何よりかと思う。

 冠婚葬祭の略式化は時と場合による。夫々の止む無き事情も察することもあるが、人として最小限やるべきするべき祭祀はやらねばならない。事情も知らず解らずではなすすべもない。親の仕事とは、務めとは一帯何なのだろうか?時代が変わったとはいえ、ハガキの一枚や、挨拶位はできそうな事ではないかと思う。それを教えるのが親の務めではないのか・・・ふと、そんな事を思いながら これでは親の最後を見送る時にも火葬場に直行する哀れな見送り方をするのではないのかと思うと、考えさせられたと同時にそら悲しくさえ思えたのは私だけでしょうか?

一周忌 投稿日:2010/03/04(Thu) 18:44 No.255

 今日という日はどんな事をしても戻れないから、大切に考えて過ごすんだよ・・・そんな事を先達はよく申しておりましたが、今自分がその年齢に差し掛かっているのに、どうしても認めたくない不思議な現状。

 従姉の一周忌、本当に早いこと・・・昨年小樽の山の上の墓地に納骨をした際、「海を眺めながら、子供達とパパの行く末を見守ってあげてネ」と、合掌した。それから半年の月日が流れ、高齢の父親を看護し、子供達も親元を離れて立派に巣立ちようやくこれから二人での穏やかな日々を過ごすはづだった。

 早すぎた旅立ちに、周りは驚き悲しみが容赦なく覆いかぶさり、誰も彼女の死を認めなかった。急な病状を彼女は頑なに伏せたまま、家族だけで看病し続けた。物言わぬ御遺体は安らかに目を閉じたままだが、口元は優しさが漂っていた。

 色白の彼女は美人で御しとやか、口数も少なく 生前秘書をしていたというだけあって、何かしら品格が漂っていた。何処へ行くのも一緒の二人だったが、それからは連れ合いと一緒は叶わず、外出がめっきり減った。電話の声も細くて聞き取れないことが多くなった。

 愛する人を亡くされた人の悲しみは、想像以上でかける言葉に自分まで、悲しみを享受する。親子、兄弟とはまた別で人生で一番長い時間を共に過ごしたからかも知れない。何れ自分も連れ合いも どちらが先に旅立ちをせねばならないやも知れないが、その与えられた時間を大切に 共に過ごさねばならない。

 今日一日に感謝し、心から 合掌

お雛様 投稿日:2010/02/20(Sat) 18:39 No.254

 今日は二人目の孫の初めての「おひな祭り」に招かれ、家族でご馳走になりに行って来ました。久しぶりに会うので、どれだけ大きくなっているのか楽しみで、すっかり優しいおじいちゃまとおばあちゃまに変身でした。

 もうひとりおばちゃまもお招きをうけました。ワクワクしながら先に来ていたおばちゃま、まるで我が子のような目つきで、抱きたくて仕様が無いようでした。オッパイの時間が終わるまで傍でジィーと動きませんでした。

 大きな病気も怪我もせず、歯が八本も生えていました。色白で(きっとママに似たのでしょう)笑顔が何とも愛らしく、大きくなったらきっと草食系の男子に好かれるのではないかと、今から心配するほどベッピンさんです。

 すかり歩くのも上手になって、お雛様はまだわから無いでしょうが、これからは健やかに愛らしく育っていって欲しいものです。子育ては大変でしょうが、「子は宝、国の宝、家の宝」と義母がよくいっておりました。

 宝は皆で育てるもの、家のため、国のため、人のために育てさせて貰うもの、困った時の為に年寄りが傍にいるから、子供の逃げ場があるんだよ。とも、よく申しておりました。

 孫を授かりこうして皆で、発節句を祝いさせて頂くことができるのは、本当に幸せなことで、有難たいこと。幸せと不幸は紙一重、幸せへのお勤めと努力は、誰にでも出来ること。心を合わせられる家族に感謝し、今日の美酒に酔いしれ、窓の外に降り積もった大雪も そっと私たちを温かく見守っていてくれることでしょう。

義理チョコ 投稿日:2010/02/16(Tue) 12:14 No.253

 「今日のビールは格別美味い?」と、テレビの前で胡坐をかき、メタボの体型にも少しも動せず、500ミリの缶ビールを瞬く間に飲み干している。普段からあまり喋らない人の独り言は、何故か気になるから不思議。

 お付き合いでほんの少しコップにお裾分けをしてもらい、「ご機嫌ですね。何か嬉しい事でもあったのですか?」二本目の缶ビールもあと少しで終わろうとしている。全くピッチが早いのが気になり、「いつもそんなご機嫌なスタイルだと周りの皆も、ハッピーになれるのに・・・」

 「何がそんなに嬉しいの?不思議な人ね」訳が解らない。要約重い口を開くと、「ビールの味が一段と腹に染み渡るもんだ。娘も連れ合いも、とっくの昔に白髪の薄毛に愛想をつかしているのに、嫁さんだけはチョコレート呉れたよ!」

 「気持ちの問題だよなー。心配りが嬉しいんだよ。子供や夫に愛情を注ぐだけではないんだよ。ほんの少しの気配りが、ビールを美味しくしてくれているんだよ。大事な人に優しくするということは、出来そうで出来ないから尚更ビールが美味いんだよ」

 解っている義理チョコ、されど義理チョコ。最後に一言、お返しは「何が欲しいのか、何でもいいからリクエストに応じるから、早めに聞いておいてくれ」と、のたまう。義理の中も少しの気配りでニコニコしながら、ジョッキを手をしている。本当に和やかな、深々と雪が降るバレンタインデーの一日でした。

万葉の野の花 投稿日:2010/02/09(Tue) 19:02 No.252

 万葉集に読まれている植物に心を寄せ、公園に歌碑の設置を提案した「石川淑子さん」とお会いする機会をえた。専業主婦でありながら、何気なく咲いている野の花に魅せられ、「万葉集」から二十三音の歌を選んだ。

 北海道にも万葉集で詠まれている植物が、数多く自生していることに気ずき、それらの植物を地域の方に知ってもらい、植物に親しんでほしいとの思いから、百種類以上もの花を確認した。

 植物への深い愛情から、同居のお姑さんのお世話をしながらの作業は並大抵ではなかったことでしょう。そのお姑さんは百一歳までの天寿を松任さたとか、その最後のお柩の中に、黙って見守ってくださったお義母様へ、万葉の花の一つである「白い露草」を、忍ばせてあげられたそう。

 露草には白い花が咲くものと、青い花が咲く露草があるそうだが、身近にあるそんな野の花が、遥か遠いいにしえの万葉集に出てきているとはツユ知らなかった。

 かれんだけれどたくましい、北海道に根付く野の花は道端などにひっそりと咲いている。雪がとけて春になったら、当別にもまだまだ万葉集にある花々に、出会えそうでそんな花にもまた魅せられそうです。

節分 投稿日:2010/02/08(Mon) 18:46 No.251

 大正時代に先々代が苦労して、当別の地に信仰していたお不動さんのお寺を建立すべく奔走されたと聞いた。八十八ヶ所のお地蔵さんには、その当時信者さんが寄贈され、檀家さんも少なかったが、信仰されていた方たちは、何かがあるとお払いを受られたそうだ。

 特に節分はお不動さんの最大の行事、お札を受けに来られる人たちや厄払いをする老若男女が、溢れるばかりに大勢お不動さんに来られた。小さなお寺は足の踏み場も無いくらいの下足で、溢れていた。

 「お札書き」に十年ほど寄せて貰ったが、当時はお寺も古く 寒くてオーバーを着てズボンをはき、毛糸の靴下を二枚も重ねたがそれでも寒くて、筆を持つ手が震えていた。あまり真剣に書くものだから、年配のお年寄りに、「肩の力を抜きなさい、お不動様が見守っていて下さるからネ」と言われ、何百枚ものお札書きに夢中になって、書き続けた。

 先々代の功績は、お寺の入り口に石碑となって、名前が彫りこまれている。今更ながら大したご先祖だったのだと、少し自慢げに分家の子供達にいつも話している。成田山分教寺の豆まきには、毎年お手伝いをさせて貰っているが、「福は内、福は内」といって決して「鬼は外」といわないそうだ。

 御護摩を焚いたお札や、厄払いをしたいものを頂いて皆さん何故か顔が緩んで見えるから不思議。年を重ねているうちに、先代や先々代の大切にいておられた「心」の内が、何気なく解かりかけてきたから不思議。でもまだまだ入り口ですが、手を合わせるという心の繋がりが、人を優しさに導いてくれるのでしょうね。

 来年は孫達を連れて、お参りして豆をひらいに行くことにしたいものです。

互助会解約? 投稿日:2010/01/31(Sun) 17:45 No.250

 「並川さんにお願いして、本当に良かった。有難う」このお言葉を 頂くたびに 御仏縁に感謝です。先々代から引き継いだ仕事、「本業に徹すること」を第一と目標設定。色々の部門をクローズし、その担当者には申し訳なかったが、身を裂く思いで決断実行経緯がある。

 地方ゆえ中々人材も思うように行かず、自分も幾つもの仕事を兼務しながら、乗り越えてきた。若かったから体力もあったが、何より目配りが届かず、お客様に本当に申し訳ないと思う心が辛かった。

 どの部門も大正時代から続けてきたので、閉店セールをしなければならなかった時は、それこそ断腸の思いだった。どの仕事も次から次へと、自分なりに改革をし、必死に勉強をしたつもり。何よりその仕事が楽しかったし、お客様とのコミケーションは豪華なご馳走で何よりの、御褒美でもあった。

 時代の移ろいと共に、少しずつ何かが変わり始め、とうとう政権までもが代わってしまった。本当に想定外の出来事ばかり、札幌では互助会が葬儀をリードして、既存の老舗は 遅れをとり地方までも 侵食しにかかっている。葬儀の本文を忘れ、後継者を育てる努力を怠り、そして各社にその大きなツケが回ってきた。

 何より互助会の会費は全部本州の本社に集められ、北海道経済のためには何ら寄与していない。各社の互助会の使途不明金は何と、30億円強もあり、裁判に提訴されている案件が 惹きもきらず毎日起きている。互助会解約は、「月曜日の朝十時から 金曜日の午後四時まで」で、日曜、祭日はお休み。?がらない、掛からない本当の電話なのです。

 入会は365日24時間何時でもできます。」これが謳い文句ですが、積み立てたお金は、掛かった経費から差し引くのではなく、満額の掛けた金額に、不足分を足してゆく仕組みなのです。総額はとても高く我々では考えられない総額です。それで騙されたといわれるお客様が 圧倒的に多いのです。

 正社員はおろか、プロの仕事をすることは殆んど出来ないのです。契約を取らないとすぐクビ、の現状が待ち構えているのです。そこで親戚、友人と名義を借りて 登録するのですが会費が続かず、途切れたところで退社となる現実。

 社員も守れない会社が、どうしてよい仕事が出来るのでしょうか? 私達には地場を守る地域の為に という大事な責務があるのです。看板を降ろせば簡単ですが、「この地域は他社の草刈場。」どんどん高くなりとり放題なのです。地場で頑張る、地域の為に。どんな事があっても守り抜く、そんな大きな覚悟が出来ました。

ひとり言 投稿日:2010/01/23(Sat) 19:45 No.249

 大抵の人は、普段は予期せぬ事態を想像したくないものの、出来ればそんなアクシディントはなるべくなら、避けてとおりたいもの。けれども運命の悪戯で、どうしても受け入れざるをえない事もある。

 突然誰にも必ずや訪れる悲しい現実の「死」。信じたくない、そして信じられない深い悲しみは、やがて何時とは無く、必ず悪しき現実となり、受けいらざるを得なければなるまい。その人にとっては、短くても長くても人生の幕を下ろし、また別の岸に辿り着かなくてはならないです。

 長いと感じるか、短いと感じるかは人それぞれですが、同じ一生ならどう生きていくのでしょうか? 十人いれば十通り、100人居れば100通り、必ず素晴らしい道がある筈。

 ただ一寸だけ気がつかなかっただけですよね。回り道も直線も、曲がりくねった道も、坂道も石ころの道も、水溜りもアスファルトの道もありましたね。雪道で滑り転び、そして起き上がりと何度も同じことを繰り返し、人は学びながら成長し 老いてゆくのでしょうね。

 生まれることも一度だけ、死ぬことも一度だけ、生老病死と云う言葉の重みが、背中に感じる時がまた「命」の大切さを感じる時では ないでしょうか?御法話の説法も、重いものですし、生きる力の原点は篤いハートが何より大切。

 人に優しい「こころ」は、我社のモットーです。どんなに時代が変わろうと、この奉仕の心は次の世代へと、確かに繋げていってもらいたい。 深々と静かに雪の舞い散る一月某日、そんなことを思案していたら、すぐに節分、お雛様、受験、卒業式、法事、年度代わりと又忙しい明日が待っています。

感謝、感謝に・・・ 投稿日:2010/01/21(Thu) 18:57 No.248

 近頃ご心配な事は親の最後の見送りへの、事前相談が多くなった事。「今のところは入院中ですが、高齢なので心配で相談にあがったのですが・・・・」と、仰られるお客様が多くなった。

 「もしも、真夜中に突然入院先から電話が入ったらどうしようかと心配で、相談に伺いました。」こんな相談が圧倒的に多い。御心配なさらなくても大丈夫ですよ、私どもは何時いかなる場合でも24時間対応させて頂きます。

 少子高齢化がさけばれている昨今、そして老々介護が現実となりまわりの近親者はその現実に、直ぐの対応に迫まられる。子供達の仕事先は殆んどが遠方という事が、直ぐの対応を遅くし、そしてうろたえる現実。

 そんな方たちへの安心は、顔の見える身近な「葬儀社さん」お陰様で、四代に亘り皆様のお世話をさせて頂いている。近郊に越されても、お電話が頂ける。知らない他社では安心できないと、皆様に仰って頂ける。本当に有難いことです。

 「継続は力なり」と言われますが、私達が引き継いでから、もう既に四十年にもなりました。創業は大正十二年でもう八十六年の歳月が経ちました。時間の経つのは本当に早かったような気が致します。拓銀さんが成し得なかった創業百年が、目下当社の第一目標です。あと十六年頑張れるのかは定かではありませんが、見守ることは可能のような気がしております。

 そして難産の末、ステラホールが出来て、六年という時間を迎えようとしております。タダタダ感謝、感謝の日々ですが、これからも四代目を継いでくれる息子達が日々、切磋琢磨して この町の皆様のお役に立ってくれるであろうことを切に願っております。 九拝合掌

笹の匂い 投稿日:2010/01/15(Fri) 19:20 No.247

 慌ただしかった松の内も、あっという間に過ぎ、所用があり朝の一便で飛び立った。冬の道路はアイスバーンで凍結しているので、連れ合いに運転してもらうことにした。高速道路とはいえ十分時間のゆとりや渋滞を考え、今までに無いくらい早朝まだ暗いうちに当別を後にした。

 幸い一月にしては珍しく降雪量が格段と少なく、除雪車の稼動も少ないが、一面アイススケート場。地域によっては想像を絶する程の雪で、除雪の予算を上回った地域もあり、これからの雪対策に地方の自治体は、頭を悩ますことになるでしょう。

 高齢者が道路を歩いて居られる姿を見ると、どうか骨折だけはしないで下さいね、と祈るばかり。北海道は本州の学校と比べて、夏と冬のお休みが逆なので始業式はまだのよう。

 今年から幼稚園に通う孫は、早くから四月を待ちわびている。クリスマスのプレゼントはパソコンを希望、ママのパソコンの横で自分もキーボードを 一緒になって打っている姿を想像。アンパンマンもきっと少し早いんでないかい?といっているに違いない。

 ホテルのエレベーターには「十日恵比寿」の笹を持っていたお嬢さん。今宮のエベッサンの帰りだとか、仲の良いペアーに最高の「福」がありますようと手を合わせた。時間があればと思ったが、今回はエベッサンへのお参りは難しい。昔野田神社の福娘をして居た時のことだが、不注意でなんと火鉢で振袖の袂を焦がし、母にひたすら謝ったことを思い出した。

 あれはまだ母が健在であったころ、生け花の師範の免状を許され、皆帯びつけでなくてはならない決まりがあった為、本部では悉く細かい指導をされた為、態々誂えてくれた友禅の振袖だった。それでも母は自分を叱らなかった。遠い昔の思い出だが、故郷や今は無き両親を思い出させてくれた笹の香は、ひと時私を慰めてくれた。

新しい年に 投稿日:2010/01/04(Mon) 19:52 No.246

 新年あけましておめでとうございます。

 今年は昨年にも増して厳しい年となるであろうか?

 政権も変わり、我々も考えも新たに、奉仕の原点に回帰すべき年とすべきと考える。葬送のあるべき形は、枚挙にいとまはないがやはり創業者の思いを伝えるべきと考える。
総業100年を目標に、決意を新たに今年は前進するべく社員が一丸となり、小さな船を漕ぎはじめるようだ。

 地域に根ざした奉仕活動、そして「優しさと思いやり」をもう一度考え直して、また「はじめの一歩」から進みたい。

 葬儀社の悪辣なビジネスには、同業者として黙ってはいられない。ピンはねが専門の他社などは論外だが、その知識や地域の慣習等は無視、言葉尻だけは尤もな事を並べたてる。

 そんな浅はかな口先だけの業者は、いずれ消えてゆく事だろうが 誰にも真似のできない「愛」がある限り、弊社のスタッフは 自分の仕事に誇りをもって奉仕するだろう。

2009年

お別れ 投稿日:2009/12/15(Tue) 19:36 No.245

 今年は予想だにしなかった二人の兄との「お別れ」だった。

 三番目の兄のお見舞いに行ってから、数週間での訃報。

 長兄は親代わりとも言うべき存在で、纏め役。

 六人兄弟の五番目の自分は、誕生日が同じ月の同じ日。

 然も丁度十年後である。

 明るい性格の三兄は、誰からも好かれ友達も多かった。

 几帳面で硬いが、優しさと心配りが最高の長兄。

 三兄の後を追うように、長兄は半年足らずで逝ってしまった

 亡き母の口癖は、「兄弟仲良く」

 送る立場から、送られる立場に何れなる。

 六人の兄弟がいつかは冥土で遭うことになるが、遅いといい

 出会いと別れは予測出来ないが、兄弟が多くて本当によかった。感謝と合掌の日々。

若い二人に 投稿日:2009/12/09(Wed) 18:59 No.244

 雪が散らつく前で当日は生憎、霙(ミゾレ)交じりの少し寒さが気になるが、オーバーに袖を通すまでもない日であった。若い二人からの結婚の招待状は、私どもにとっては何よりも嬉しい便りでもあった。

 近頃あまり嬉しい話もなく、静かな日が多く只孫の成長が何より楽しいかな?と、話していたものだから、二人の報告は何より楽しく、嬉しくて仕方なかった。親戚筋では結婚適齢期に該当する者も何人かいるには居るのだが、如何せん「お一人様」に浸っている。何時のことやら、彼らは自分の老後を考えているのかと、老婆心ながら心配になる。

 二人で手を携えて、子をなし家庭という小さな大切な宝に、喜びも悩みも苦労も悲しみも、重みも総て二人で作って築き上げるもの。そのプロセツが重要なのは、若い二人にとっては、重かろうが素晴らしい家庭を築きあげて欲しいと、ひたすら願っている。

 美男美女のカップルから誕生するベビーは、どちらに似ているのかしら?一寸気が早すぎたかも知れないが、今日からはどちらの親御さんも大切にしてあげて欲しい。そんな気配りも彼等なら、十分に持ち合わせているので安心。

 出来れば先に逝かれたお父様達に、是非ともこの場にいてほしかっただろうに・・・叶わなかった分は、二人のお母様に、倍にして返してあげる孝行を期待していますよ。

 そして素晴らしい結婚式に招待してくれて、本当に有難う。終生変わることなく、お互いを尊敬し譲り合い、温かい相手を思いやる心を忘れず、お正月には二人で拙宅に来てくれると、もっと嬉しいね。

ある日 投稿日:2009/11/24(Tue) 18:55 No.243

 野や山が白く雪化粧を始めると、何かと忙しなく先ずは足元の準備から始めなくてはならない。履くものから着るもの、そして庭木の囲い、越冬用の食糧の準備。先人達はこんな積雪の多い不便な地域で、よくも苦労を物ともせずに、耐え忍んできたのだろうか?

 戦後近代化の波が、電化製品や化学の発達と共に、こんなにも便利に都合よく生活が出来るようになろうとは、誰しも予想だにはしなかった。自分たちが幼かった頃は、貧しさを恥ずかしいとも思ってなどいなかったし、どんな仕事でも親の職業などは寧ろ自慢げに話していたように思ったものだ。毎日お父ちゃんが仕事から帰るのを、待ちわびていたように思う。商家の子供は家業を手伝い、今日はあれを教えて貰ったと、自慢げに話していた。

 都会の小学校のグランドは何故かアスファルトで、運動会は隣の公園を借りて走り回っていた。校舎の地下は何故か進入禁止で、水が溜まっていて奈良県から通っていらした担任の先生は、「戦後の跡が処理出来ていないから、もうすぐきちんと綺麗にしてくれるだろうから、しっかり見ておきなさい。平和の素晴らしさは子供でも考えられるよね、お家に帰ったら、そのお話を家族に聞いてご覧」なぜか、この事は今でも忘れられずに覚えているから不思議でしょうがない。

 「温故知新」どんなに時代が変わろうと、大事な事は守っていかなければならないし、又新しいことにはチャレンジし続けて前進しなければなるまい。「与えられもの」それは何物にも替えがたく、また変えざるを得ねば成らぬ時もあろう。だが年を重ねる日々には、いつも心に刻みつつ、我仕事の努めを終える日まで、「葬送の務め」を第一に全うしたいものだ。

絵はがきコンクール 投稿日:2009/11/13(Fri) 19:29 No.242

 道法連女連協創立10周年記念事業の一環として、税に対する「絵はがきコンクール」が行われた。当別小学校、西当別小学校、弁華別小学校の各校から多数の応募があった。各校の校長先生にお会いして、是非とも応募の協力をと依頼してまわった。

 政権が代わり税金の無駄遣いを、政府は各省庁と精査をはじめたが、正しい税金の使い道を知ることは、大事な教育の一環でもあろう。また納税の義務も小学生から関心を持つことも大いに必要だと思う。「絵はがきコンクール」はそんな意味でも税についての関心を持って貰う良い機会だった。

 最優秀賞は残念ながら札幌の小学生だったが、弁華別小学校の本多さんが見事に「北法人会女性部会長賞」が贈られる事となった。来週弁華別小学校を訪問し、役員と共に賞状と賞品を手渡す役目を仰せつかった。素直で自然な感情が作品に表されており、選者の気持ちが届いたように思えた。

 小さな社会貢献のお手伝いだが、子供達から学ぶこともあり、また学んで欲しいこともある。どんな事でも「はじめの一歩」が人生には、とても大事だということを知って貰いたい。

雪景色 投稿日:2009/11/03(Tue) 19:03 No.241

 昨夕から降りだした霰や小雪が一晩中降り続き、例年になく早い本格的な雪の到来となった。朝一面の雪は、野や山も本格的な雪化粧。木々の葉や田の作物も冬の備えもまだだというのに、こんなに早く来なくてもよいものを、どうして急がねば成らなかったのだろうか?

 地球の温暖化が進んで、気象の変化が何もかも壊れ始めている。25%の削減を目指している日本は、世界に先駆けてその施策を目指すべきだが、国民ひとり一人が協力し意識改革を急がねば成るまい。そして何が出来るのかを、自覚し実行せねばならぬ時限にきていると思う。

 今日は初孫の七五三、生憎私の車は冬タイヤの装備が出来ていない。息子の車に乗って当別神社に参拝した。足元は雪がまだ消えておらず、冬靴でなければ、歩けない。社務所まで、たかだか十五歩なのに夏靴では、まるでスケートリンクと化し、一歩が恐ろしいの何のと、震え上がる。

 親子三人の笑顔は何とも微笑ましく、どうぞ無事に健やかに育ちますようにと、玉串奉奠し記念写真を宮司と一緒に撮らせてもらった。入院中の御祖母ちゃまに晴れ姿をみてもらえなかったけれど、プレゼントの四つ身の着物に御満悦の孫の顔は、一入可愛く愛しかった。

 今年の初雪の日のお宮参りの事は、孫にとってきっと人生に於いての語り草となることだろう。小さな手で両親と共に、神前で二礼、二拍手をし、小さな足袋を穿いて着物の裾を気にしながらこの子の為に参拝したことを、孫は大きくなっても忘れずに居て呉れるだろうか。それとも千歳飴とおもちゃが沢山はいった袋の事だけが思い出となるのだろうか?

冬支度 投稿日:2009/10/29(Thu) 19:15 No.240

 急な所用があり5日程本州に出張、観光シーズンとあって航空券に空席がなく往復に2日かかってしまった。団体客で満席状態、痛む肩を庇いながらバックは一つにまとめたものの、機内のシューターには納められない。隣席のお兄さんがみかねて手伝って下さって感謝した。

 行き先が交通の便の悪いところで、JRや地下鉄、私鉄と乗り換えた。いつも車で移動が当たり前の毎日だが、こんなに不便さを感じたことはなく、車が足となってなっていた事に改めて気が付いたしだい。

 気が付けば季節はもうすでに秋、車窓から見える木々の色も紅葉している。まだまだ当地は温暖で、門に這っているブーゲンビリアは濃いピンクで素晴らしく、大きくて北海道では考えられないほど、こんもりと枝を大きく広げている。葉は濃い緑色だが、花は色々種類も豊富で、ピンクや白との混合で肥料や日光でそこそこの色を出す。

 小さな箱庭に、各家夫々の植木が所狭しと並べられている。夜店で求めた鉢なのか、ホームセンターで買い求めたのだろうかと勝手な想像をしながら、歩くのもまた楽しいものです。中には名前の知らない植木鉢を発見、携帯でパチリ、帰ってから植物図鑑で調べることにした。

 所用を急いで済ませ、帰ってから会社の二階の窓から見えるお寺の庭の借景に、まさしく秋を感じた。いつの間にか半分以上の木々の葉が、庭に舞い落ちている。前住職の竹箒の音が聞こえそう。重そうに掃いておられるのは、白樺の葉だろうか、栗の木の葉も相当ありそう、背丈の低い一部の木はもう粗縄で冬囲い。

 各寺の報恩講もすんで、御檀家さんが総出で広いお庭の雪囲いをされることでしょう。一片の木の葉が、静かに一枚、二枚、三枚とひらひら舞い降りると、何となく気も心も秋を感じそして寂しくなります。秋ですね。

嬉しいこと、悲しいこと 投稿日:2009/10/16(Fri) 19:35 No.239

 実りの秋を迎え、今が収穫の最前線。今週でほぼ稲刈りを終える農家が殆んどだと聞いた。昨年よりは作柄がいまひとつだそう。一年をかけて八十八もの手をかけ、愛情が一杯の稲穂の一粒の重みは、何にもまして変えがたいことでしょう。本当に御苦労様でした。

 ホッと一息ついている笑顔はどの顔もこの顔も、満面の表情である。何よりも収穫量が多いければ良いのにと、こころから願っている。そして当別のお米で出来たお酒が、今年もいただけるよう、楽しみにしている。

 そのお酒で結婚の披露宴で祝ってあげたいと思っていたら、嬉しい招待状が届いた。きっと皆若い二人を心から喜んで祝福したいと願っていたのでしょう。勿論何が何でも出席させていただく所存です。「おめでとう!」赤い糸で結ばれたお二人、助け合い、思いやり、そして協力しあって仲良く末永く、明るい家庭をきずいてください。

 そんな中、悲しい知らせも届いた。ほんの僅かの間に仲良し兄弟が突然病に倒れたとのこと。弟さんが春先に逝去され、お悲しみも癒えぬのに、今度は御長男が癌に侵され回復の見込みがないとのこと。御家族は必死の看病についておられるとのこと、職業柄こんな時には、非常に複雑で御見舞いは遠慮しなければならない。

 庭の紅葉も衣替えをし始め、ひとひら、一片静かに散り行く様は何とも、もの悲しいもの。ススキは白い綿を風に乗せて山や川や田の方に、静かに音もなく舞い散るが、人の心は我侭で、その時々を自分流に勝手に想像してしまう。

 ましてや知り合いの方ともなれば、余り深く詮索する訳にもゆかず、ただただ どうか御回復されますようにと祈ることしか出来ない。近じか大きな手術を控えておられる方もいるが、近代医学がこれ程進んでいても、どうにも成らないのが何とももどかしい限り。

 何事も明日は吾が身、どんなに時代が変わろうとも、嬉しいことも、悲しいことも、今受け入れなければならない事は出来うる限り全部うけいれずばなるまい。祈りの道に謝ずべきは、命あらん者の勤めやも知れない。

手のひら 投稿日:2009/10/04(Sun) 18:33 No.238

 澄み切った青空を見上げれば 既に季節はもう秋、鰯雲がゆっくりと西の彼方へ流れていく。慌ただしかった九月も過ぎて気がつけば、収穫に忙しい農家の人たちの喜ぶ笑顔が何とも微笑ましく感じられる。

 一度稲刈りの作業を手伝いたいと申し出たら、ていよく断れた。力も体力も無い者がウロウロしていたら反って迷惑、手伝いとは大それたことをいったものだと、大いに反省。日頃相手の立場に立って考えるべし、と言っていた自分が恥ずかしい。

 収穫までの大変さは身近に感じている。雨が降れば程々でよいのにと思い、風が強い日には稲が倒れないかと心配し、気温が上がらなければ穂に実が入らないのではと思い、害虫が発生すればもういい加減しろと怒ってしまう。

 そんなひとこま、ひとこまが痛いほど理解できる。忙しい時は暗いうちから布団から抜け出し、日が落ちるまでお握りを頬張りながらの作業、次から次へとひと息つく暇も無い。身体の一部が病んでいても、多少の事なら我慢してようやくキリがついてから処置をする。そんな御苦労が痛ましい。

 今年は長雨と冷夏で、野菜の出来も例年になく落ちた。毎年北海道のジャガイモを待っていてくれている人たちへの発送は、心苦しかった。何とか一番「優」のジャガイモを送りたかったが、数も揃わず値段も高くて申し訳なかった。それでも何とか無理をいって調達できたので、やっと送らせて貰った。皆喜んでくれただろうか?

 そんな中には着いたとも何とも返事のこなかった人もあったが、長い手紙を態々送ってくださった方もあり、とにかく皆さんの胃袋に無事納まってくれたら尚嬉しい。この手のひらで出来る事、出来ない事色々あるが、いま少し病気をしないで、お世話になった方たちへ北海道toubetsuの風と味が送れればそれだけでよい。

ナムナム・ちーん! 投稿日:2009/08/31(Mon) 18:47 No.237

 二歳半の孫は今が可愛い盛り、オウム返しの片言の愛らしい一言が、まわりの大人たちを笑いの渦に巻き込むから参ってしまう。時々お泊りしてくれるのは決まって仏間である。静かでおもしろく珍しい調度品?が所々にあるからかと思っていたが、来ると必ず真っ先に「なむなむ・チーン」「なむなむ・チーン」と紅葉のような両手を合わせ合掌。

 御先祖様は手を併せてお参りしてくれる孫の姿を、きっと喜んでいていてくれていることでしょう。そしてママの背中を見て、自然に合掌してくれるこの小さな孫とママに感謝。

 風が吹いて政治の世界も変わったが、マニフェストどうりの世の中には仕組みも時間もかかることでしょうが、どうか健全な風であってほしいもの。人の心も世の中の仕組みも、当たり前のことが、当たり前であることを願わずにはおられない。

 この孫達が大人になる頃には、負の遺産を出来るだけ少なくしておいてあげたい。何より子供達が健やかに育つ世の中でありますようにと願っている。我々も後期高齢者といういやな呼ばれ方をされないですむ時代を切望したいものだが、終戦後六十四年を迎えるにあたり、平和の有難さを次世代まで繋げていく使命もある。

 宗派を超えて平和の祈りを捧げることは、宗教者の使命であろう。命の大切さを、重さを儚さを今こそ声を大にして千尋をきって導いていただきたい。なむなむチーン・南無南無チーン・合掌

乾坤の第一峰 投稿日:2009/08/20(Thu) 18:59 No.236

 富士は不思議な山である。冬晴れの空に天地乾坤、一ぱいの雄姿が聳えるかと思うと。次の瞬間には忽然と消えて大空の何処にも跡形もない。

 青山元不動、白雲自ら去来すという。われらの心のあり方を宇宙一ぱいに拡大して見せてくれる霊峰富士を、思うがままに感じるがままに表現。

 花園大学元学長 大森曹玄老大師(鉄舟会前師家) がお感じになられたお気持ちを、言葉にされ表現。禅の国際化を願われ創始された「国際禅道場」。平成6年8月18日示寂。室号無依室、道号的翁。

 何気なく見ていたカレンダーに揮毫された「乾坤の第一峰」の意味にも宗教者の深い思いが、高僧たる所以なのやも知れない。また自ずからは「はじめの一歩」に戻らずばならない。合掌

宝物 投稿日:2009/08/15(Sat) 17:31 No.235

 二歳半の初孫、生後5ヶ月の二人目の孫の存在が 周りの大人たちを翻弄させ、まるで笑いの渦に巻き込ませようとは思いもしなかった。どちらも女の子だが、片言をしゃべり始め95歳の曾祖母までを明るくしてくれる。

 ファミリー全員が揃うと、本当に皆が笑顔でその小さな仕種のひとつひとつが、たまらなく可愛くて抱きしめてしまうから孫の存在の有難さを心から痛感している。

 今のところはオウム返しの言葉を発信しているが、今年のお正月にはどれだけ成長しているのかワクワクしながら楽しみにしている。二人とも私たち家族の大事な、大事な宝物、どうか健康で素直に成長してくれますように。

 二人は従姉同士になる訳だが、大人になってもお互い助け合って仲良く成長してくれれば何より嬉しい。孫達が大人になった世の中までは見守ることは叶わないだろうが、戦争のない平和な国であってほしい。政治も経済も落ち着いて、誰しも納得のゆく世界であってほしい。

 今日は奇しくも終戦後64年目を迎えた大切な日、国の宝も家族の宝も願いは皆同じくひとつ、「命」の大切さを心に刻み、戦争のない平和な国創りを政治家に託し、清き一票の重みを真から噛締め、幼子の将来を案じずにはおられない。

政治、天気、銭湯 投稿日:2009/07/19(Sun) 17:38 No.234

 雨降りが続く毎日、大地の作物は 「もういいよ!早く晴れてくれ!と 叫んでいるに違いない。こんなに雨続きだと、心配の種は尽きない。麦の収穫は 昨年はもうこの時期には、既に刈り取りが終わっていたというのに、今年は随分と寝ている穂が目に付き 痛ましくてならない。

 畑はまるで泥濘の如く 足すら運べない。けれども雑草だけは、遠慮なく伸び放題で 大きな顔をして仲間を増やし続けている。作物が心配でならないが、基幹産業である農家の皆さんが 元気でないとこの町は元気がでない。

 昨日本店のシャッターを閉じ帰ろうとしていたら、御住職が通り帰られるのに 出くわした。何やら大きな風呂敷包みを小脇に抱えて居られた。「銭湯の灯を消さない会?」の会長だからこうして、大きな洗面器を抱え、御出勤されているのだそう。

 全国の町の銭湯が消えゆくのは、街の文化が消えゆくようで、自分も寂しい思いがする。子供達が小さい頃、三軒隣の銭湯によく通ったものだったが、義母には叱られた。内湯があるのに どうしてお金を払ってまでゆくのかと・・・その当時の我が家のお風呂は、家族が五人くらいは楽に入れる大きなお風呂だったので、不思議だった。近所の困った人がお湯をわけて!と、頼まれたので、新築する時に思い切って大きくしたのだとか。

 成る程、人助けだったのかと今は理解できるのだが、当時は、大きなお風呂は子供達も大喜びをしてくれたし、何より色々な街の情報が、一杯溢れていた。知らない事や、解からないこと、オバサンたちが色々と親切に教えてくれた。そしてお風呂上りのコーヒー牛乳とヤクルトの味は格別で、それも子供達には何より楽しみだった。

 「銭湯文化」も時代と共に段々その灯が消え去ろうとしているが、出来ることなら消さない努力も必要かもしれない。孫達がもう少し大きくなれば、是非連れていってあげたいコミニュケーション広場。

 「政治も天候も銭湯も何とかならんか?」御住職がふと漏らされた一言、本当に仰るとうりです。少しでも何とかなる事、願っております。

多忙でした 投稿日:2009/07/05(Sun) 17:22 No.233

 慌ただしい六月が過ぎ、気がつけば今日はもう七月に入っていた。本当に公私共に色々な出来事が重なり、一日が過ぎていった。一週間が瞬く間に過ぎ去り、心身ともにただ疲労と後悔と反省の日々のように思えた。

 霧雨の降る中、靄に包まれた天候の日、従姉の納骨式に小樽まで参列し、無事気がかりだったお骨を納骨。小樽需要記念建築料亭での会食。優しかった一歳違いの従姉は、ご主人を残し誰にも病状を知らせず、僅かの時間を家族だけで看病にあたった。知らせを受けたのは目を落としてからの、電話だった。故人の意思だったそうだが、忙しさにかまけ、いつもはする何気ない電話をしていなかった事が、何時までも悔やまれた。

 その後、義母の退院とホームへの入所の準備の手続きと、毎日役所通いが始まった。どうしても気になっていた方のお見舞いに伺おうとスケジュールを調整してみたが、やはり叶わない。そのうちに遠方の親類からの危篤の電話、そして孫の御百日の「御食い初め」の予定の打ち合わせ。某法人会の役員の承諾の電話での打ち合わせに、札幌のホテルまで直行。

 携帯電話に24時間付き合い、一度に出来うることはほんの僅か。お寺の本堂の上棟式の打ち合わせは、坊守さんと済ませ一安心、然し詳細変更は社員に任せて飛び出した。義母の様子がいつもと違う事に気がつき、また病院まで車を飛ばす。

 専務が発起人を務める商工会の青年部のメンバーの結婚式の活けこみの仕事の打ち合わせが舞い込む。九州から取り寄せたものを、どうしてもアレンジして欲しいとのこと。若い二人が、仕事を終え、夕方本店に訪ねてきた。何とか希望の豪華な雰囲気を出し、「流石よく考えたね。素晴らしい!」と披露宴に参列される皆さんに、云っていただけるように工夫した。何より皆さんに、喜んでいただければ嬉しいのですが・・・・・

 緊急の電話でまたまたチケットの手配、やはり往生しなければならなかった運命。自宅の御仏壇に御灯明をあげ、翌日通夜式に参列、午後からの葬儀式が終わり繰上げ法要が始まったのは、既に五時半だった。それにしても自社との葬儀式の違いは格別で、これで遺族が満足してくれていると思っているなら不思議な話。そして葬儀者として大いに参考になった事は事実、先様の立場になってみて初めて理解できた事。

 慌ただしかった六月が過ぎ、もう本州は真夏、暑くておいそれとは行けそうにないが、大切な尊敬している方の退院を知った。お見舞いには伺えなかったがお元気な御様子、どうかリハビリに専念され一日も早い回復を、北の大地より祈念申し上げます。そして御自愛下さいます様に!

御仏縁に合掌 投稿日:2009/06/09(Tue) 19:50 No.232

 故人様との御仏縁を頂き、御葬儀を終えられた御遺族様との縁は 一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌の法要まで御依頼を頂いた。不思議なもので十三年前の御通夜から御葬儀までのひとつひとつが、鮮明に思い出され、その当時はそれなりに云えない苦労があったことも、何故か今は思い出となった。

 身体を横にしていても、心配で食事をとった事すらまるで記憶にない。あの時はもう赤とんぼが空を舞っていた筈、白樺の葉っぱの色が黄色くなりかけて、チラホラ落ちかけていた。お孫さんの白いタイツを調達に走り回り、黒の子供靴は子供達の物を貸してあげて喜ばれた。

 もう一人のお孫さんの、紺色の襞スカートの丈を調節してあげた筈。そうそう子供用の蝶ネクタイと白いブラウスも、誰も気がつかなくて調達してあげあげたらお嫁さんの、ほっとしておられた顔が何ともいえない位印象的だった。

 その小さかったお孫さん達も、既に立派な高校生や大学生となられたが、私達にもちゃんと挨拶して下さる。親子三代にわたっての御仏縁に、深く心から合掌。

ライラックの花に 投稿日:2009/06/03(Wed) 19:22 No.231

 今が盛りのライラックの花が咲き乱れ、ほのかな香りを運んでくる。義父が大好きだった花の一つだが、生前には何首も俳句をよんでいたのが懐かしい。別名リラの花ともよぶが、義父はリラの花の咲くこの季節がたいそう好きで、多趣味の人だった。

 何事も超一流で自慢の人であった。スポーツは野球と剣道が大好きで、70歳位まで打席に立って、打って走っていたのが印象にある。毎年町内の野球大会には必ず参加しご挨拶、周りは怪我をしないかと大層心配したが本人はいつも大丈夫、まだまだ若いもんには負けられないとおお張り切りしていた。

 孫が剣道もはじめると、昔の防具を持ち出して竹刀を振りはじめ型をはじめあれやこれやと指導をはじめ、そのうちにすっかり蚊帳の外に置かれる始末。部屋にはいると男の孫には将棋と囲碁の相手をしてくれたが、孫達が段々力をつけて勝負に勝ち始めると、悔しいらしく今度はお祖父ちゃんワールドが始まった。

 昼間は先ずクラウンでお仲間と札幌の喫茶店まで、コーヒータイム。これが日課で、あそこの豆はまだマスターの修行が足りないとか、ここはお店のレイアウトが思わしくないから味が半減しているとか、まるでコーヒーの批評家。

 何でも年をとったら「リラの花咲く紫煙荘」という喫茶店を始めるとか、お店の名前まで考えていたそう。夜は一週間に一度の句会、そしてはじめは日本舞踊に、次に社交ダンス。これは当別教室と札幌教室を掛け持ちで習いに行っていたが、エナメルのダンスシュウーズに蝶ネクタイのスタイルは 家族も言葉が出ないくらい熱心に飽きもせず通っていた。先生に褒められるのが嬉しいらしく、隠れて大会によく出ていたとか・・・・

 洋服は丸善のお得意様で、何事も半端ではないのが自慢だったが、ライオンズの国際大会では義母をエスコートするのがとてもスマートで、同行されたメンバーから羨ましがられたとか。また書道は半端でない位の達人で、教本よりも凄いと思ったことが何度もあった。義父の崩し字は素晴らしく本当に達人だと、心から唸った。

 大正生まれお爺ちゃんだが、いつも何年も先を見ておられたような気がするが、いつか話された事のひとつひとつが今、現実になってきている事実が 幾つもある。凄い人だったが、何事も時代が早すぎて、周りの皆が付いていけなかったのかもしれない。リラの花が咲く頃になると、白や紫、橙、ピンクの花が競い合い芳しい香りを風にのせてきはじめると、何故か優しかった先代を思い出す。

悲しくても・・・ 投稿日:2009/05/26(Tue) 19:22 No.230

 先月、今月と公私共に多忙の日々が続き、昨年のデーターは 殆んど用を成さなかった。嬉しいこと、悲しいことが日替わりに続き 健康だけがとり得が幸いした。昨年から通院治療中の、肩のリハビリの時間がどうしても割けなかったのが残念。また、以前に戻ってしまったようで、覚悟を決めて通院治療に心がけようと思っている。

 老齢化社会がどんどん加速して、老人人口の割合が大きくウエートを占めているが、まだまだ当別の年配の方々は元気印の方が多いように思う。我が義母もお陰様で三食しっかりいただいているので、百歳までは頑張れそうな様子なので家族はほっとしている。一日でも長生きして欲しいものだと願っている。

 先日信じられない御葬儀を担当した。御主人を見送られてひと月も経たないのに、その奥様からの悲痛な電話。御長男が突然の心臓発作、電話をするのが精一杯で私どもも驚いて、信じられなかった。ひとまず御自宅に伺い一緒に御長男のお住まいへと同行することになった。震えの止まらないお母様は、お嬢さんに電話をして欲しいと言われまだ信じられない御様子。

 御子息の葬儀を何とかすませ、見送られたその何日か後、今度はそのしたのお嬢さんが目をおとされた。何ということでしょうか、短いこのひと月に家族の三人を見送られ、私たちは言葉を失い、お慰めのしようもない立場に、ただただ御三人の御冥福をお祈りするしかなかったのです。

 ある日、お隣の奥様達とお店に来られ、突然私の手を握って、「本当に有難う、良くしてくれて感謝しています」と、仰られた。元気を出してもう少し頑張らなくては、皆のところへは行かないから、安心して少しだけ助けてね」と云われた。何故か涙が毀れたら、貴方が泣いてどうするの。お礼を言いに来たのに、これでは立場が反対ね。

 仏様は時にはこんなに惨い仕打ちをされるのかと思ったが、いやいやそれぞれの御寿命を全うされたのだから、致し方のないことと思い、思わず合掌。お連れの方たちとも顔見知りだったので、まだ何とかその場を収められたが、夫や若い子供達を突然みまかわねば成らない親の心情は、筆舌に尽くし難い。心から合掌申し上げました。

鮮やかに 投稿日:2009/05/24(Sun) 11:45 No.229

 当別町は体に譬えると、臍にあたる。ここは特別の一級地で、チョッとばかりの自慢を披露。札幌市に隣接し中心のススキの繁華街までは車で30〜40分、石狩市にも隣接しており海岸までは近い。山も「道民の森」までは同じくらいで、キャンプ場や野外音楽ホールも併設。満点の星を眺めるのには絶好の地域で、こんなに沢山の星を自分の目で、確かめられる場所はここより外は無い。

 とにかく澄んだ空気が何とも喩え様も無いくらい、美味しいのである。念願の当別ダムも工事が急ピッチで進んでおり、その周辺の道路が綺麗に整理され、自分の目で確かめようとハンドルを握ってみて驚いた。

 今まで何気なく見過ごしていた山々が、このダム工事で何と生き返ったように、堂々と自分たちを見てくれと言わんばかりに、聳えているのだ。春の碧をそれ以上に、美しく木々に着飾って競っているいるではありませんか。本当に脱帽でした。

 当別町自慢のゴルフ場は、町内だけで5箇所もあり 何れも車で10分チョッと。「町民ゴルフ大会」への参加者は毎年300人弱というのも嬉しいもの。またパークゴルフも盛んで、「パークゴルフ並川杯」という弊社主催の大会も参加者が、年々増えているのも嬉しい限り。

 都会に近く、海にも近く、そして山にも近いこんな快適な「臍」の地域は大いに自慢である。アスパラの収穫も始まり田植えも始まった。これからが北海道の一番快適な季節、緑が映える時期でもある。リラの花も鮮やかに、香りを乗せて早く咲きたいと待ち構えている。

母の日に寄せて 投稿日:2009/05/11(Mon) 20:14 No.228

 今年の春は いつもの年とは違う、所謂地球の温暖化を 感じる 変な気候。北国の春は 誰もが待ち望んでいる、頬に優しい温もりを感じる風の到来が無かったことである。どうしたことか、梅の花が一番に膨らみ、次に白い衣を羽織ったこぶしの花が咲き、そして桜の花が一斉に先を競って 満開を告げる。

 今年はまるで可笑しい! 雪融けは早かったのに、気温が中々上昇せず 長袖の服も手放せず、上着は冬装束、中着は春物。頬をなでる風でさえも、まるで冷淡で寒すぎる。こんな年は初めてで、木々の葉さえ寒そうに感じるし、一体春を何処に置き忘れてきたのだろうか?と、思うことさえあった。

 近隣のビニールハウスの中は、程々に暖かくここには一足先に春の到来といったところ。畝には頭を少し出し始めた花々が 早く顔を出したそうに競っている。一雨ごとに温かいかくはなってきている。タンポポが道路脇に黄色い頭をみせはじめた。ラッパ水仙も芝桜も色とりどりに、ようやく可愛く咲き始めた。

 母の日には、赤いカーネーションのイメージが、相場だが今年は紫色の輸入カーネーションが、出回った。ムーンダストのアレンジメントが大きな顔をしはじめた。まだまだ時代と共に、色も形も変わることだろう。それでも、母を思いやる子の心は、世界中皆同じ事でしょう。

 母の心もまたそれ以上に、どの子もココロから愛しい事でしょう。幾つになっても、子は親を越す事はできないものです。「子を持って知る親の恩」三千世界の親心は、子心ですね。これからも、そしていつまでもお母さんに感謝、感謝です。

二人の孫 投稿日:2009/04/30(Thu) 17:48 No.227

 孫の誕生は、何ほどか嬉しいものはない。二人目も女の子であったが、先祖から初めての子供は皆女の子だそうである。どちらでも健康であってさえくれればと、周りは皆願っている。

 不思議な因縁で、先祖代々女の子という風になっているのだから、二人目は男児ということになっている。これも、授かりものだから、大切に皆で育んでいかなければならないと思っている。

 さて、ここで我々は孫達に何と、呼んで貰おうかと、嬉しい思案をしている。ジージ、バーバー? お祖父ちゃん、お祖母ちゃん? 色々あって、決められない。

 本当に嬉しい悩みだ。

お見舞い 投稿日:2009/04/11(Sat) 21:28 No.226

 職業柄、我々葬祭業を生業としている者にとっては、お見舞いほど気遣いをしなければならないことはない。怪我で入院されている場合は、時間を要すれば完治ということになるが、それ以外の場合は、先様や御家族にとっては 最も尋ねて欲しくない相手となるからである。

 気配りとは誠に厄介な仕種で、喜ばれることはないにしても、こちらとすれば 伺わずにはおられない場合もある。こんな姿を見せたくないと、御本人は思っておられるやも知れず、そんな時ほど忽ち躊躇してしまい 失礼せざるをえない。

 こちらとしては自分がお見舞いをいただいた相手だと、尚更不義理をしてしまう事に、申しわけないさがずっと尾を引く。どうしようかと悩んでいるうちに、退院でもされた時など全く身の置き場に困ってしまう。そんな時は、ご免なさいと素直に謝ることになり、後からお花を持ってお伺いすることにしている。

 昔の話で恐縮だが、「自分の前で歯をみせるな!」と、叱られてしまい、全くそのとうりだと、大いに反省をした。若気の至りということで、その後その方には、色々と教えていただく事が、随分とあったように思う。知らないというよりは、気配りや配慮が全く足りなかった訳で、勉強不足というよりは、常識とは何ぞい?

 恥ずかしいことばかりのオンパレードだったが、階段をひとずつ、人は時間をかけて昇っていくようだ。

二人目の孫 投稿日:2009/04/04(Sat) 20:22 No.225

 予定日が4月の始めに出産予定の、二人目の孫が、3月31日に産声をあげた。母子共に健康で家族一同、ホッと胸をなで下ろした。翌日は遠方に出張の予定が入っており、ご対面は一度だけとなったが、新米パパはメールで娘の写真を毎日送ってくれているので一安心。

 二歳になったばかりの孫は、今年のお盆にはきっとお姉ちゃん振りを発揮するのではないかと、今から楽しみにしている。それにしても孫の誕生は、何とも言えない位に嬉しいもの。早速御仏前に報告し、お赤飯を供えた。

 我が家の初孫は何故か先先代から女の子、二人目は男の子、という風に姑が言っていたが、そのとうりになった。孫の誕生で、息子たちは親となり、父親という大きな責務を松任してほしいと願う。

 「しっかりと飯を食わせて陽にあてし布団にくるみて寝かす仕合せ」歌人の河野裕子さんの一首である。これからは親も子も、仕合せを感じる温かい家庭を、築いて欲しいと願う。「子を持って知る親の恩」何時の世も、命が授かったその日から、その重さを大切にして 命尽きるまで大切なものを 守り育てる事の意味を、噛み締めてほしいと 願わずにはおられない。

感謝 投稿日:2009/03/28(Sat) 19:24 No.224

 もう半年近くも整形外科に通院リハビリ治療をしているのに、中々回復の兆しがない。以前に痛めた反対の肩治療だが、手術しなくても良いので通院してみてはどうか。ということになった。

 年を重ねるということは、こういうことなのかと、その時は妙に納得した。けれども回復の兆しはなく、時間を調整しながらハンドルを握る毎日。不自由なことは云うまでもないが、仕事をこなしながらの通院は予想しえなかった。

 まだまだ時間を要するようなので、半ば開き直ってケアに勤めるつもり。そんな話を不用意に漏らしたら、まだお礼をしてなかったので、是非温泉に付き合ってください。と、懇願された。

 忌明けが過ぎて、毎日の暮らしに少しずつ心の観念ができたようだ。一人暮らしの毎日、きっと誰かに話を聞いてほしい様子が伺えたので、近くの温泉に同行することにした。車で御自宅に迎えに行くと、何から何まで準備して下さっていた。

 何だか申し訳ないなーと思いながらも、嬉しそうに話しかけてこられる様子に、ホッとした。道路の端々には残雪が黒く積み上げられ、春を待ちわびている草花が、ほんの少し頭を出しかけている。あと半月もすれば、緑一面、田んぼのキャンバスに色々な色が出揃うだろう。

 誰もが心待ちにしている四季を、身体全体に感じる季節がすぐそこに訪れよう。話し始められた色々のこと、ただ、ただ聞き役に徹し、頷くだけであった。それでも何故か諦めの境地とも決別し、致し方がなかった運命のゆくすえも、「これも仏様のお導き、ただ私にゆっくり待っているようにとの事、仏様の仰られるようにさせて貰うことに決めました」

 ふたりで湯船に浸かりながら、額から流れる汗も何ほどか優しく感じられた。当別町の温泉の湯質は素晴らしく、つるツルになる。ここは皮膚病にも効能があるので、人気があり普通の石鹸では泡が出ない。其れほど素晴らしい、湯質で鄙びた風情が、都会人にはたまらなく魅力だそう。

 どの位の時間が流れたのか、腹時計を頼りに先ずは脱衣場にて衣替え。何とも云えない位に優しいお顔つき、聞いて貰って本当に嬉しかった。勝手な独り言に、よく付き合って下さって本当に感謝しています。と、何度もいわれ、こちらの方こそ、思いもかけず楽しいひと時をありがとう御座いました。 感謝、感謝の一日でした。

ステラの法要 投稿日:2009/03/27(Fri) 19:46 No.223

 一周忌の法要がステラホールで、もうされた。悲しみの時計の針はいつもどうりに進むのに、心の針は前へ進もうとはせず、只ひたすら微かな進み具合だけが、何とも心もとなく侘びしく過ぎた。

 つくづく代われるものなら代わってやりたかった・・・と、か細い声で一人呟く喪主様は、まだまだ「死」を受け入れてはおれない毎日と、悪戦苦闘されている。

 連れ合いの死は、先に旅立ちという現実を、身も心も一人で総て受け止めなければならず、悲しみの果てまで故人と共有することは、到底叶わない。

 風が吹けば、寒かろう。ほんの僅かの雨の雫の音でさえも、また深々と降り積もる雪音さえももの悲しく、総てのことが独り身の身体の総てに郷愁をさそう。

 あんな事、こんな事、共に何事も分かち合って五十数年手を携えて来た。誰もがその立場にならなければ、到底理解し得ないことばかり。「納骨の義」の意味が、やっと解かりかけました。とポツリと仰られた。

 喪主の御挨拶、献杯が終わり御孫さん手作りのクッキーが祭壇から下がり、参列者お一人おひとりに配られた。その仕種に同じお立場のおひとりの方は、涙を抑えきれず感極まって、目を真っ赤にされていた。隣席の方まで貰い泣きをされた。テーブルの卓上花までが、本当に悲しそうに映った。

 在りし日のDVDがプロジエクターに映し出されると、本当に一年が過ぎ去って、しまったのだと今更ながらに、実感した。お孫さんの手つくりクッキーが、人の心を癒し故人を思い、そして偲び、心温まる和やかな一周忌の法要でした。

少しのフンバリ 投稿日:2009/03/19(Thu) 20:41 No.222

 路地に入ればまだまだ残雪が轍(わだち)が所々あるが、国道はもうすっかり春色道路と、いった方がよい。一雨ごとに雪かさが減り、月末には殆んど融けているような そんな気がする3月の気候。

 外出にはトレンチコートでも十分、風も頬に優しく撫でながら、遠慮がちになびいてくる。季節の変わり目は、嬉しい事と、悲しい事が、何故かしら毎年同時に起きているようだと、誰しも感じる。

 お彼岸に、お墓参りは北海道では考えられない。何分 雪に埋もれているのだから、致し方ないのだが、季節の行事は、何事もひと月遅れが定説。だからノンビリ構えているのも、納得しているから、気持ちも動きもマイペース?そう、本当にゆっくり、ユックリなのです。

 そんなに急いでどうするの?と、昔よく言われたが、「時間がもったいないので・・・」とは、どうしても言えなかった。だって今日という日は、もう人生には今日しかないのだから、どうしても大事にしたかったし、貴重な与えられた「自分の宝」ですものね。

 齢95の姑の顔は、最近皺の数が増えたように思うが、時々じっとお見合いをすると、姑が笑ってしまい、皺の中に埋もれてしまうほどいい笑顔に変身するから、何とも不思議で可愛い。

 歩行器でスイスイ病院中を歩き回ってはいるが、杖なしでは歩行は到底難しく、骨粗そう症の進行が際立ってきているのが、とても心配。年を重ねるということは、素晴らしい事。少し先だが、健康に留意して、誰かのお役に少し立てたら、こんな素適なことはない・・・

心の花 投稿日:2009/03/12(Thu) 19:09 No.221

 三寒四温の今日この頃、直ぐそこまで春が向かっているのに、御出棺の時ぐらいは、意地悪しないで、晴れててくれれば良いのに、悲しみが増すかのような、意地悪な猛吹雪。

 霊柩車に牡丹雪が舞い、悲嘆に暮れた御遺族の涙と雪水吐風が、悲しみを余計に重ねてしまう。震える身体は、手足さえもしばれさせてしまう位無常である。北国の葬送は、悲しみを更に増すかのように、冷たい雪が容赦しない。

 まるで四ヶ月間は、雪の中の生活を、余儀なくされるのだから、自然に逆らはない知恵には、凄いものがある。インターネットの時代が、逆に冬の生活を、快適に変えてくれる場合もあるから、不可思議といえば不可思議なのである。

 家庭で食料を保存し越冬させる技術、なんて世界一かも知れない。また解凍するする事も方法も、考えられない知恵が、誰でも持ち合わせているのだから、其れもまた及第店と、云ったところか。北国の知恵の深さには、成る程、移住者の、苦労が折り重なって、出来上がっているのかもしれない。

 自然を味方に生き抜いた先人の知恵は、見事な位奥が深く、慎重かつ丁寧。暮らしに合わせた生活は、一周忌の法要でも、顕著にもうされる事が、多いような気がする。何事も省略の時代にあっても、まだまだここ当別の町は、優しい人柄が、葬儀でも法要でも、仏事に関して、滲み出ているようなそんな気がする。

時の流れに 投稿日:2009/03/04(Wed) 14:12 No.220

 一月、いんでまう・二月、逃げる・三月、去る・・・とは昔の人はよくそういって、この三ヶ月は特に、月日のたつことの早いことを例えていったものである。本当に我社にとっても、二月は葬儀件数が多く、社員が一丸となって 対応してくれて乗り切った。

 社員総勢10名の小さな会社ではあるが、たったひとつ自慢できること。それは先々代から始まった、創業87年という歴史である。専務で四代目であるが、英々とこの仕事に従事し乍ら、おくりびとの任務を続けてこられた。

 有難いことに、この小さな町の人たちに支えられ、そしてまた、この町を離れ、隣の札幌、石狩、江別、新篠津、月形、厚田、望来、小樽、岩見沢、夕張と御縁をいただいた方々にお声をかけて頂き当別と何ら、拘わりを頂いた方々の御依頼を受け、施工させて頂いている。

 当時を振り返れば、今では想像も出来ないくらいハードな仕事で、長靴もズボンも持ち合わせていなかった。隣保班の人たちの手で、温かい和気藹々とした、雰囲気の中での葬送は、故人を偲び、送る。そのようなスタイルが大半であったが。先代はもう一工夫、もう一工夫と常に何かを提案し続けてきた。

 拘りの人で、半面職人気質といった方が、似合った。早くから、葬儀の定義は?といったような 質問を事あるたびに投げかけてきた。当時まだ他社では看板に家紋をつけていなかったが、先代は一晩かけて手書きの家紋を、コンパスや定規をつかい、形を作り、最後に墨で塗りつぶし鋏で切って完成させたものだ。

 葬家からはとても喜ばれたが、今度は祭壇の生花の飾り方を工夫し、まるで人生が流れるように、蕾から満開の花迄を川の流れのように繋げた。祭壇のキャンパスを眺めているように見え、御遺族からはとても喜ばれたことは、いうまでもない。当時はいつも何かを考え、工夫し続け先代にいつも同行させて貰った自分までが、誇らしく嬉しかった。

 それから他社が、真似をするようになり段々、生花祭壇が主流となった。当時丸山市場へ生花を仕入れに行き、義母にまたこんなに仕入れて来て、支払いどうするの!と、よく叱られ閉口したものだった。先代と目を合わせながら、小さくなって裏口からそっと入った事が懐かしく思い出された。

 時は流れ、季節が移ろい、まだまだ葬送の仕事は奥が深く、しなければならないこと、考えなければならないこと、改善しなければならない事、勉強しなければならない事、等など、ありすぎて、今日もまた一日という大切な時間がながれていく。少子高齢化の時代、『愛」と「癒し」のテーマに向かいつつ、今日も更け行く・・・・

孫 投稿日:2009/02/23(Mon) 19:18 No.219

 二回目のお雛様に、息子夫婦から招待を受け、ワクワクしながら、何をプレゼントしようかと考えていた。本が大好きな子供の絵本、色々ありすぎて戸惑い中々決まらない。たまたま免税店で可愛い洋服を見つけたお祖父ちゃん、これを着せてやりたい!いやこちらのほうがもっと似合いそう・・・

 こんな楽しいお買い物は久しぶりでした。お嫁さんのプレゼントはすぐに決まったのに、生憎パパのプレゼントは時間切れで又今度ということになりました。孫の喜ぶ顔見たさに、祖父さまは出かけるたびに、土産物屋さんを梯子するようになりました。えらい代わりようで、信じられないくらい不思議です。孫って本当に不思議な存在なのですから、私たちに元気をくれるのですもの有難いです、掛替えのない大事な宝です。

 小さな命がまわりの大人達を、こんなに喜ばせてくれるとは、少しも想像もしていませんでした。大きい曾ばあちゃんまでが、曾孫のためにセッセと、帽子や靴下などなど編み物をして、今度会うときには又少しサイズをひとまわり大きくしてあげなくちゃはいらないから大変だと。嬉しそうに手を動かし続けて、夢中で鍵針を動かしています。

 孫がもうひとり今年誕生することも、とても楽しみで、今から家族が全員揃うお盆とお正月の話に飛んでしまうことも、よその人が聞いたら 本当に笑い話ものです。それでも懲りずに 人前でもついお喋りしてしまうのですから、恥ずかしいのを通り過ぎよ。と、娘に笑われてしまいました。

 二月は事の外仕事が忙しく、お休みを中々とれず社員が頑張ってくれているのに、社長と二人ちょっと遠方にお出かけをさせていただきました。皆さんのお陰で骨休めをさせていただいたこと感謝しております。有り難う!

粋なお返し 投稿日:2009/02/14(Sat) 19:03 No.218

 長い人生のなかでは、時には思いもかけず、形のあるもの又形のない頂き物をしている。それはささやかな物であるときも、そうでない時もある筈。随分昔に戴いた事があったにせよ、時間が経ちすぎて忘れている場合も多々あろう。

 数えてみたことはないが、確かにあの人にも何かをいただいたことがあった。隣のお祖母さんだったり、習い事の先生だったり、友人だったり先輩だったり、お取引先だったり兄弟だったりと・・・数え上げれば、枚挙にいとまがない。

 戴いたのは形のある物は勿論のこと、形とはいえないものではないが、嬉しい気持ちだったり、心配りだったりと、考えてみると、随分といただいている。いただきすぎて、忘れてしまっていることもかなりある。有難い事だが全部を思い出す事は 到底不可能で、年を重ねるたび、ご免なさい!でいとも簡単に詫びている。

 永年某老人施設で仲間と楽しく過ごされた故人、亡くなられて程々の時が流れ、お仲間も悲しみをようやく忘れかけた頃、施設のチーフにお願いをされた。

 「私がいなくなったら、施設の皆さんとお世話になったスタッフの方お一人おひとりに、必ず私からのプレゼントを、差し上げて下さい。」

 施設長はこの故人との約束を、果たされたのです。それは亡くなられてから、丁度100日目の日を予約され、「故人は桜の花が大好きでした。とうとう桜の花が咲く頃まで、ながらえることは叶いませんでした。この桜の花をご覧になられたら、私の事を少しだけ思い出してください。」と・・・
そうおっしゃられて、生前桜のお花代をお預かりしておりました。

 桜の花の開花は、北海道では本州よりも約ひと月遅れが、普通です。何とかこの桜を、咲いた状態でお届けしたい。そんな思いから、仕入れた桜をお風呂場で温度調節、これが中々難しい技なのです。全体が咲くまでの時間は、何度お風呂場に見に行っただろう・・・

 湿度と温度の調節のお陰で、見事に満開の桜のアレンジをお届けすることが出来ました。少し早い春を楽しんでください。「粋なおかえし」を希望された優しい故人様を、是非ひと時偲んであげて下さい。 合掌

雪ごころ 投稿日:2009/02/13(Fri) 18:54 No.217

 地球の温暖化が叫ばれている昨今、豪雪地帯といわれている我が町も、確実に積雪量が少ない。アスファルトが顔を出しているのだから、ドライバーにとっては何より有難い。尤も朝晩は温度計も零下の表示をするだから、寒いというかシバレルといった表現のほうがよいのかもしれない。

 広い北海道だが地域によっては、今年は積雪量が多くて、閉口したという町もある。ある程度の積雪量がないと、農家には水不足が起きないかと心配だそう。多くても少なくても、人は贅沢な者である。何事も程々が良いに決まっているが、程々ほどアバウトな言葉はない。

 政治の世界も経済界もこれ程混乱した世相を、だれが予測したことだろう。アメリカのサブプライムローンの破綻から世界が混乱し、日本の優良上場企業までが派遣切りをしなければ、会社を持ちこたえることが出来ないとは想像を絶する時代に突入した。

 若者に未来を託すことは出来ないのだろうか?総ての人が一日一時間と年を重ね、幸せに暮らせる人生を謳歌できないのだろうか。今出来ることを真剣に考え、この仕事を誇りに次の世代に受け継ぐこと、ささやかな幸せでも感謝の心を忘れず、お役に立つ幸せもほんの少し、先様に伝わればこんな嬉しいことはない。

信念と出会い 投稿日:2009/01/29(Thu) 19:18 No.216

 所用があり某オーナーに アポもとらず、失礼だとは思ったが急遽会社訪問することとなった。相変わらずお忙しい方で、きっと迷惑だろうと思いつつも、社長の体調も気になっていたので、訪問して安堵した。

 世間では「気配り名人」と言われる位に「心配り、気配りが最高」なのだ。どんな時でも、よくそんな細かいところまで、気がつかれれるのかが全く不思議でいつか機会があったら 思い切ってお尋ねしてみようと思っていた。

 それにしても不思議なオーラが出ている、何とも魅力がある方なのである。お目にかかれる事さえ叶わない方が多いと聞いていたのに、運良く自分の都合で訪問し、勝手に申しわけないくらいに自分の身勝手。失礼千万も甚だしいと思いつつも、一方ではラッキィーと心の内で感謝している。

 昔仕事の手ほどきを受けた方が、遠方で亡くなられたそう。けれど今振り返るとその方の あつい思いのハートの指導があればこそ今の自分があると云われた。

 そこで故人の云われた信念や思いを、静かにトウトウと話された。遠方ゆえ直ぐには葬儀には参列出来なかったが、今でも故人のことは忘れずに、云われたことを実践してしてみたよ。当日は北の大地から、その方角に向かって合掌して感謝をし冥福を祈ったよ。近ければなァー・・・・まだお返しはしてないのが、心残りだよ・・・

 呟かれる一言ひとことが、胸にジーンと重く熨しかかり、彼の人との出会いと別れが、こんなに人を優しく、また厳しく、ときには悲しくさせ、そして大いに成長させ、まわりをも育む。青い空の向こうに山々の綿帽子が寒く被っている、白い雲がほんの少し流れた。、ビルを出たら一片の雪が自分の撫で肩に、優しくそっと被さった。

ある日 投稿日:2009/01/27(Tue) 16:51 No.215

 義母から引き継いだ会に加盟させて貰った某会は、何と三十五年も継続しているそう。狭い町なので会員の皆さんのお顔は 殆んど覚えている。が、然し、残念なことにお名前とお顔が一致しない。多分御葬儀の式場で 何方ともお会いしているのだが、慌ただしい限られた時間の中では、記憶の回線が何処かへ散歩している。

 今回の新年会は、某カラオケ店でということになった。例会を済ませ徒歩で、直行すると、驚いたことに、お店は満杯!驚いたのはそれだけではない。お客さんの平均年齢?は、既に 後期高齢者に該当されている方たちばかりなのである。

 私達のメンバーも決して若いとはいえないが、あのマンパワーに驚愕の 現実を垣間見たのである。マイクを握り締め、颯爽とステージに立ち、自分の知らない新しい歌に意気揚々と楽しく、心地よく軽やかにメロディーとピッタリ絶唱。

 何ということか、こんなに生き生きとされている姿を、見る機会がなかっただけのことなのに、知らなかった自分が恥ずかしく思えた。

 二十数年も前のことだが、地方のお寺で総代をなされ、人望もおありだった故人の御葬儀、出棺の蔡、カラオケの会の会長さんでもあられた故人のお見送り、会員のみなさんは山門の前で大合唱された。当時は始めてのハプニングことゆえ、驚いてしまったが、御遺族は大層嬉しそうで満足され、皆様にありがとうと何度もお礼を云われていたのを思い出した。

 葬儀に不釣合い?カラオケがまだ奔りだったその時は、本当にそう思っていたが、故人の大好きだった歌でお見送りできたことは、御遺族にとっても、故人にとっても「満足」。そして「感謝」されていることだろう。

 カラオケ教室とフラダンスのお教室が大盛況だと聞く。どちらも苦手の部類だが、親しいゴルフのメンバーまでが、何れかに参画しているそう。今一番大切なことは、健康と仲間と年金?が、何よりのお薬だそう。やがていつかは必ず来るその時に自分は、どう見送ってほしいのかボチボチ考えておかなければならない・・・

お花畑 投稿日:2009/01/24(Sat) 18:57 No.214

 毎日の仕事が 通院から始まる今日この頃、昨年痛めた右肩の治療も、彼此二ヶ月を要している。年を重ねるということは、少しの不注意が何処かここかに、顕著に現れるものだと、痛切に感じた。

 健康でなければ何も出来ず、それこそずーっと大事に付き合っていこうと思ってはいるが、中々思うようにはゆかないもだ。何物にも代えがたい大切な命も、健康があってのこと、ほんの僅かの事でさえ、心から大切にしなければと思う。

 今のところ怪我で済んでいるのだが、完治まではまだまだ時間を要すようなので、リハビリを第一にと考えて、根気よく通院してる。冬の道路は全く私の心臓に悪く、ハラハラ、ドキドキのハンドル裁きは、周囲の者にまで、気を喪ませそう。

 優しい連れ合いは、悪天候の日は黙って車を走らせてくれるので 本当に感謝している。冬の天気は気まぐれで、当別では晴天だが、石狩大橋を渡ると猛吹雪で、ワイパーが忙しく連動しても、追付かないから恐ろしい。心臓の鼓動が激しく、このまま事故につながらない様と、祈りながら運転する。

 遠くの山々の雪が消えて、野の花が眠りから覚めて起きだし、可憐な草花が芽を吹きだし、つくしやタンポポが道路に顔を出し始めたら、今年は二反の畑に、一面のお花畑を作りたい。道行く人が、ひと時お花で癒される、そんな四季折々のお花畑を夢見ている。

 そして孫達を、蓮華のグランドで 思う存分遊ばしてやりたい。亡くなったおばさんの大好きだった、芝桜も一面に増やして偲びたい。春よ来い!早く来い!!!

はじめの一歩 投稿日:2009/01/11(Sun) 16:20 No.213

 新年にあたりコラム「はじめの一歩」を再開することによ り今年も、スタート時点から、改めて基本から始める覚悟。

 先代は「古い信用、新しいサービス」を、基本理念に掲げ大正、昭和の時代を奉仕して継続、そしてその理念は今も臆することなく、次世代へと受け?げられる事を信じている。

 時代の変革は凄まじいが、どの時代にあっても「奉仕の精 神」は変わらないし、変えてもいけない。
「心に沁みる温かい、優しいサービス」を探求し研鑽しな がら「はじめの一歩」を歩みたい。

2008年

約束、合掌 投稿日:2008/12/27(Sat) 18:56 No.212

 退院されたら一日一杯 今迄の積もっていた事を、お話しましょうネ。そういって又入院された大先輩、突然の訃報に驚嘆した。ご免なさい、後で電話くださいねとお願いしてから随分と時間が経過していた。

 何時も反省ばかりでまた大切な方と、お別れしなくてはなくなった。お聞きしたいことが沢山あったのに、自分のミスで申し訳ない事をしてしまった。きっと約束を忘れてしまっているのだろうと、思っていらしたのではないだろう・か・・・その日ばかりは何とも居た堪れない一日でした。

 お元気な頃の笑顔が何ともいえず、素敵でした。そして博識家でもありとても人望のある方、それがそんなに早くから?病魔と闘っていらしたとは、周りの方たちも自然に接して下さっていたのが、何より口惜しい限りです。

 一人の方が亡くなれば、100人の人が動く、とはよく言ったものです。すでに無常の風きたりぬれば 紅顔虚しく変じてとうりのよそおいを うしないぬるときは二つのまなこ 忽ちに閉じ ひとつの息ながくたえぬれば 六親眷族あつまつて嘆き悲しめども さらにそのかいあるべからず。哀れというもおろかなり。 合掌